船宿を横目に進むと広い空き地に出ます。ここは「火除地(ひよけち)」と呼ばれた場所。火事の多かった江戸では延焼を防ぐためこうした防火用の空き地が各所にあったんですね〜。
防火用の空き地なわけですから、基本的に建物を建造することは許されませんでしたが、移動可能な屋台や小さな露店などはOKでした。
深川江戸資料館では、火除地に、てんぷら屋さんと二八蕎麦の屋台、水茶屋を再現!
これはてんぷら屋さん。江戸三大グルメ「てんぷら」「そば」「うなぎの蒲焼」として人々に愛されました。お店は店舗と屋台の中間とでもいうような「床店(とこみせ)」というタイプ。
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てんぷらというと今では高級料理のイメージがありますが、江戸時代のてんぷらは立ち食いが基本のファストフード。どんなネタが並んでいるかというとーー
エビ、こはだ、イカ、穴子などなど。びっくりするところではハマグリのてんぷらも。どれも串に刺してあり、値段はどのネタでも1本4文(約100円)とめちゃくちゃ安い! ネタには塩などで下味がつけてあるので、なにもつけずそのまま食べることができたんだとか。下味をつける理由については保存のためというのもあるらしい。
こちらは二八蕎麦の屋台。
看板には「二八」の文字とともに碇(イカリ)の絵が。これは「客の足を留める」というシャレなんだそう。本当に江戸時代はダジャレ好き。
蕎麦屋の内部はこんな感じ。
こちら側には蕎麦猪口、丼、そばとうどんの麺、お箸など。
反対側にはそばやうどんを茹でる釜と湯切りがあります。その上の棚には薬味入れや、ツユを温めるためのチロリが。一番下の棚には水瓶があり、丼を洗ったりするのに使いました。
実際にてんぷら屋さんと蕎麦屋さんがこんな近距離にあったら、てんぷら屋で串を買ってそれをそばに入れて「てんぷらそばのできあがり〜」なんてこともできたかもしれませんね。
こちらは水茶屋。
よしず張りの店舗で、今でも神社の境内なんかで見かけるお休みどころのような感じです。ちなみに「水茶屋」というのは「液体状の茶を提供する店」という意味で、今でいう喫茶店のこと。こうした道ばたのほか、社寺の境内など人がたくさん集まる場所にありました。江戸時代のスーパーアイドル「笠森お仙」が看板娘をしていたのも笠森稲荷にあった水茶屋です。
水茶屋ではこんな風に急須ごとお茶を提供したそう。ちょっとお得な気分。
ほかに、いなり寿司の屋台もありました。
毎朝、お店の人が仕込んだネタを家から持ってきてここで売ったそう。現代のいなり寿司との違いは大きさ。
すごく…大きいです…。
食べやすいサイズに切ってお皿に乗せて提供したほか、お持ち帰りもできたそう。いなり寿司は江戸時代後期に誕生したといわれる料理で、江戸時代の寿司のなかでも一番安い庶民の味だったんだとか。
また、おもしろいのが食べ方。江戸時代後期の風俗資料『守貞謾稿』によれば、いなり寿司の酢飯にはキノコやかんぴょうなどを刻んだものが混ぜられていたそうなのですが、その混ぜご飯いなり寿司にわさび醤油につけて食べたんだとか。
さて、江戸時代の建物は基本的に高くても2階建。
そんななかで飛び抜けて目立つ建物がこの火の見櫓(ひのみやぐら)。資料館のなかでもダントツに大きい。
この火の見櫓は実際にモデルとなった佐賀町にあったものを再現したそう(ガイドさん談)で、ビル3階くらいの高さがあります。よく再現したなあ、これ。火事がとにかく多かったので早期発見するため、こうした火の見櫓が江戸の町にはあちこちにありました。
とまあ、こんな感じで細すぎる設定をしながら町が丸ごと再現されているわけです。
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