どじょう、マグロ、穴子からイノシシやシカまでーー江戸時代の鍋がおいしそう!
では、どんな鍋料理を江戸時代の人々は食べていたのか?
江戸時代初期の料理書『料理物語』には、ホタテなどの貝殻を鍋にして魚介類やきのこを煮込んだ鍋料理が登場します。
現代でいうと、秋田県のご当地グルメに「かやき」というホタテの貝殻を鍋にした鍋料理があるのですが、それと一緒。そんなシャレた鍋料理が江戸時代にすでにあり、しかもかなり流行していたらしい。
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また、江戸時代後期に書かれた豆腐レシピ集『豆腐百珍』には、現在の湯豆腐に似た「湯やっこ」という料理も登場しています。湯豆腐、あったまっていいよね。
ちなみに湯豆腐の発祥は京都の南禅寺門前にあった料理屋なんだとか。京都は現代でも豆腐料理で有名ですがそれは江戸時代も同じ。
が、『南総里見八犬伝』の作者として有名な曲亭馬琴は、京に行った際に有名豆腐料理店で豆腐料理を食べ「江戸の豆腐料理のほうがぜんぜんおいしい。店は江戸よりきれいだけどね」との感想を残しています。さすが江戸っ子の馬琴先生、気持ちいくらいに江戸びいき!
町人文化が花開いた文化・文政期(1804〜30年)頃になると、江戸で鍋料理の店が次々にオープンし、鍋料理のバリエーションはさらに豊かになります。
たとえば
どじょう鍋。
現在でも大人気の“どぜう鍋”の超有名店「駒形どぜう」(東京都台東区)の創業は、1801年(享和元年)のこと。どじょうを丸ごと煮込んだ「丸鍋」は下町の名物グルメとして今も大人気です。
江戸時代後期の風俗百科事典『守貞謾稿』によれば、骨抜きしたどじょうに笹がきごぼうを加え卵でとじた「柳川鍋」が登場したのは天保年間(1830〜44年)の初め頃だそうで、横山同朋町(現・東京都中央区日本橋)にあった柳川屋が売り出して人気グルメになったんだとか。
これは『守貞謾稿』に描かれた柳川鍋の説明イラスト。一番上の浅い鍋にどじょう、その下の少し深い鍋には熱湯。これを合体させフタをしてお客に提供したそうですが、なにかというと、どじょうが冷めないためのアイデアなんですね。熱々うれしい。
なお、柳川鍋の料金は1人前で48文(約960円)くらいだったそうです(幕末)。
次も、江戸っ子大好きの鍋料理。
ねぎま鍋。
「ねぎま」というと鶏肉とネギを交互に串に刺した焼き鳥がメジャーですが、こちらは「ねぎ」と「まぐろ(トロ)」を使った鍋料理。「ねぎまぐろ」を略して、ねぎま。
マグロのトロ、と聞くと「なんてぜいたくな鍋! ぜんぜん庶民の味じゃない!」と思うかもしれませんが、江戸時代にトロはちっともぜいたくじゃない。むしろトロ食べない。
赤身の部分は“ヅケ”にしてすしネタとなりましたが、トロは脂が多すぎで不人気。そのためトロは肥料にされるかポイ捨てされていました。今ではとても考えられないことです。
でもある時、「トロもったいない。」といって、えらい人がネギと一緒に煮込んだ。すると、これがめちゃウマい。やがて「ねぎま鍋」は江戸っ子に大人気となっていったのです。ちなみに味は醤油ベースです。
ほかにも現在、茨城名物として知られる「あんこう鍋」も江戸時代から大人気。
「あんこうは口びるばかりのこる也」という川柳もあるように、捨てるところのないあんこうは元禄時代(1688〜1704年)にはすでに食べられていたようで、水戸黄門こと徳川光圀もあんこうを食べたんだとか。ヌルヌルするあんこうを吊るしてさばく「あんこうの吊るし切り」も江戸時代前期からあったそう。
ほか、これも江戸時代から鍋として食べられていました。
スッポン。
漢字では「鼈」と書きます。
スッポンは江戸より京や大坂など上方で人気があり、スッポンの鍋は「まる鍋」と呼ばれています。「まる鍋」の老舗、京都の大市は元禄年間の創業で現在17代目なのだとか。
上方では重宝されたスッポンですが、江戸では調理法の残酷さからか「下品な食べ物」と思われていたらしい。でも、食べたらおいしかったらしい。
そのほか、ナマズ鍋、穴子鍋、白魚鍋などいろんな鍋料理がありました。
と、ここまで魚メインの鍋料理でしたが、肉を使った鍋料理も江戸時代からありました。
「江戸時代って肉食べちゃダメなんじゃなかったっけ?」と思う方も多いはず。たしかに、江戸時代、表向きは肉食タブーでしたが、じつは江戸時代後期には「薬喰い」と称してイノシシやシカなどの肉を食べる人もかなりいました。
冬の江戸です。雪がすごいですねぇ。
さて、画像左に「山くじら」と書かれた看板があります。この「山くじら」とはイノシシのこと。「山くじら」という隠語を使って肉食をカモフラージュしていたわけです。
イノシシ肉を使った鍋を「牡丹鍋」と呼びますが、「牡丹」も江戸時代に誕生したイノシシの隠語です。
「薬喰いして人に嫌われ」と川柳にあるように、肉食に対する世間の風当たりは厳しかったようですが、やっぱり肉はおいしい。肉、食べたい。そこで人々は知恵を絞っていろんな隠語をつくりだし、こっそり肉料理を堪能したのです。
鹿肉を使った「紅葉鍋」も江戸時代からあり、ネギと鹿肉を味噌味のつゆで煮込みました。
こちらは雁(がん)鍋料理専門店で雁鍋を食べる人々。雁をはじめ、鴨や雉(きじ)、鶏などの鳥類も鍋の具材となりました。
池波正太郎の人気時代小説『鬼平犯科帳』の主人公・鬼平がなじみにしているのが軍鶏(しゃも)鍋屋「五鉄」。この「五鉄」のモデルとなったといわれるのが軍鶏鍋専門店「かど屋」で、幕末の文久2年(1862年)創業といいますから幕末の志士たちも軍鶏鍋を味わったかもしれません。
幕末のヒーロー、坂本龍馬が死の直前に盟友・中岡慎太郎と食べようとしていたのも軍鶏鍋です。
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