• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年11月1日


イケイケドンドンの宗春は、自国の尾張だけでなく、“ドケチ将軍”吉宗のお膝下である江戸でも自分のスタイルを貫きました。すごいぞ、宗春

こんな宗春らしいエピソードがあります。

参勤交代で江戸にいた時のこと。宗春は息子の端午の節句をお祝いするため、尾張藩の江戸屋敷をド派手に飾り立てました。

豪華な端午の節句イメージ(『江戸砂子年中行事 端午之図』揚州周延 画)
豪華バージョンの端午の節句イメージ。ちなみにこれは明治時代の作品(『江戸砂子年中行事 端午之図』揚州周延 画)

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しかし、何度もいうように当時は倹約令の真っただ中。

武家も町人もお祝い事といえど地味にやらないとお咎めを受けました。にもかかわらず、宗春の屋敷ではたくさんの鯉のぼりや吹き流しがにぎやかに飾られ、もうお祭り騒ぎ。

尾張さまのお屋敷がすごいことになってるんだってよ!」

娯楽に飢えていたこともあってか、宗春の屋敷の噂はすぐに広まり、屋敷の周りには大勢の見物客が集まりました。

宗春の破格なところは、その見物客たちを追い返すどころか「そんな遠くで見とらんと、近くで見りゃええがね」と屋敷に招き入れちゃったところ。

家宝の武具なんかを披露したり、祝い酒を振る舞ったりと町人たちおもてなしたのだとか。

厳しい封建社会だった江戸時代、御三家筆頭・尾張藩のお殿様なんて雲の上のそのまた上の存在。

そのお殿様による前代未聞といえる神対応が評判にならないわけがありません。

江戸の巷にはこんな落書きが流行ったとか。

「天下、町人に似たり。尾州、公方に似たり。水戸、武士に似たり。紀州、乞食に似たり」

天下、つまり将軍吉宗は町人のような質素な暮らしなのに、尾州、つまり尾張宗春将軍さまのようだ、というわけ。

こんな宗春のやりたい放題ぶりに将軍吉宗もついに動き出します。

江戸の尾張藩邸に怒りの使者を遣わし、3カ条の詰問を突き付けたのです。

  • 自国と同じように江戸でも派手な振る舞いをするのはどうなの?
  • 息子の節句のお祝いを町人にまで見物させるなんて軽率すぎない?
  • とにかく倹約令を出しているんだから倹約しなさいよ!

とまぁ、こんな感じ。

一筋縄ではいかない宗春のこと、どんな反論をしてくるのかと使者もドキドキしたはずですが、意外や意外、宗春は素直に謝罪の言葉を述べると、頭を下げたそう。

しかし、ここからずっと宗春のターン。

使者を別室に連れていくと「ここからは世間話ですが……」と、あくまでオフレコとして持論をまくしたてたのです。

「庶民にまで倹約を強制しても潤うのは幕府の金庫。庶民は楽しみも奪われ、質素な暮らしを強いられているだけで、そのメリットなし!」

「下を守るために上に立つ者が慎むことこそ倹約。幕府の倹約はとにかく下が苦しい。吉宗公は倹約がなんたるかをわかっているのか」

「私は派手なことを色々やったが私だけが楽しんでいるのではない。上も下もみな一緒に楽しんでいる。そのお金は、天下を回って民の暮らしに還元されるのだ!」

と、言いも言ったり。吉宗の使者が顔面蒼白状に陥ったことは想像に難くありません。

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