最後に。

宗春のその後について紹介します。

幽閉後、幕府をはばかってか、宗春は御三家筆頭の藩主だったのに、正式な肖像画すら1枚も描かれることはなく、存命中の正式な記録も一切残されることはありませんでした。

いわば歴史から消えた宗春が、ご先祖の墓参りのためようやく外出が許されたのは、幽閉から22年後

外では、最大のライバルだった吉宗はすでにこの世を去り、10代将軍・家治(いえはる)が世を治めていました。

宗春自身、もう60歳を過ぎています。

この忘れ去られた殿様を、熱狂的に迎えた人々がいました。



それは、かつて狂騒を共にした名古屋の人々です。


宗春が失脚してからの城下は火が消えたように静かでしたが、名古屋の人々は提灯を通りに並び立て、昔日のにぎやかさを取り戻すことで、派手好きの宗春を22年ぶりに迎えました


宗春はそれから3年後、世を去ります。

徳川宗春の墓(名古屋市内にある平和公園)
名古屋市内にある平和公園のなかに宗春の墓がある。戦前は、尾張藩主の菩提寺・権中寺にあったがのち移転
ただ、死してなお、幕府の宗春に対する怒りはなはだしく、宗春の墓には金網がかけられていたという噂もあるほど(真偽不明)。

宗春の名誉がついに回復されたのは、死後75年も経ってからのことでした。

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投稿日: 投稿日:カテゴリ:カテゴリー 人物

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