• 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年9月16日


江戸時代の驚きの喫煙率!


江戸時代後期に江戸でタバコ屋を営んでいた文筆家・三河屋弥平次は自著のなかで「喫煙しないのは100人に2~3人」と推定しているんだとか。

んん??

これが本当なら


喫煙率 97%以上!?


ただ、素人の女性はほとんど喫煙しなかったというし、全体統計としては少し信ぴょう性に欠けますが、まあ、それほどまでに喫煙する人が多かったというのは確かなようです。

笠森お仙の茶屋でひと休みする若い侍(鈴木春信 画)
江戸のアイドル、笠森お仙の茶屋でひと休みする若い侍。手には煙管、傍らには喫煙具のセットがおかれている(鈴木春信 画)
ちなみに、「未成年者喫煙禁止法」が施行されたのは1900年(明治33年)のこと。

なので、江戸時代〜幕末〜明治中頃までは子どもがプカプカ喫煙しても法律的には問題なしでした。

とはいえ、金銭面を考えるとそんなに喫煙していたとは思えませんが……。


日本独自に進化した刻みタバコ。お求めは「タバコ屋」で


現在「タバコ」といえば紙巻タバコが主流ですが、江戸時代の「タバコ」は煙管(きせる)で「刻みタバコ」を喫すスタイルのみ

当時の海外では、紙巻タバコのほか、パイプや葉巻などさまざまな喫煙スタイルが誕生しましたが、日本では260年以上も続いた江戸時代にあって、喫煙スタイルが変わることはなかったようです。

喫煙アイテムの煙管(きせる)についてはあとでくわしくお話しするとして、まずは刻みタバコとタバコ屋のお話しを。

江戸時代のタバコ屋の店先(『煙草二抄』より 山東京伝 作)
『煙草二抄』より(山東京伝 作)
こちらは江戸時代のタバコ屋の店先です。

喫煙の風習が広がり始めた当初は、喫煙者が店で買ってきた葉タバコを自分で刻んでいましたが、4代将軍家綱の頃になると町中に刻みタバコを売るタバコ屋が登場し、瞬く間に数を増やしていきました。

上の画像の左上、鉢巻きをしたおじさんが持ってる白菜のような葉っぱこそ葉タバコ。その隣では職人たちが葉タバコを刻んで、刻みタバコをせっせとつくっています。


刻んだ葉タバコを煙管で吸う、という喫煙スタイルはアジア諸国でも見られるのですが、日本では刻みタバコの加工方法に度肝を抜く進化が起きました。

なにかというと、



とにかく刻み方が細かい

職人が葉タバコを細かく刻んでいる(『煙草明細取調書』より)
職人が葉タバコを細かく刻んでいる(『煙草明細取調書』より)
最初は荒かった刻み方も時代とともにどんどん細かくなり、最終的に「こすり」と呼ばれるものすごく細かい細刻みタバコが登場しました。

また細く刻めば刻むほど味わいがマイルドになるのだから、これは日本の職人魂に火がつく。

「こすり」の細かさに至っては、
なんと毛髪レベル


この、諸外国からしたら呆れるほどの技術は、時代が下りタバコの需要が増すなかで、生産力アップができる器械刻みに取って代わられることになります。

ちなみに、刻みタバコの値段(1800年頃)は、1匁(約3.75㎏)=38文(約760円)だったそう。現在のタバコが1パッケージで400円ちょっとなので、リーズナブル。

余談ですが、江戸時代の武士のなかには給料だけでは食べていけず、内職に励む者もたくさんいました。というか、下級武士はほとんどもれなく内職していました。

武士の内職というと、傘張りや朝顔の育成が定番でしたが、刻みタバコの製造も大事な武士の内職のひとつだったそうです。

さらに余談ですが、タバコ屋の看板といえばこれをイメージする人も多いのではないでしょうか。

職人が葉タバコを細かく刻んでいる(『煙草明細取調書』より)
画像引用元:
ある世代以上には懐かしい。漂う昭和レトロ感。

一方、江戸時代のタバコ屋の看板はこんな感じでした。


江戸時代のタバコ屋の看板
画像引用元:JT
これは北越地方のタバコ屋の看板だそうですが、誰でもひと目で「あ、タバコ屋だ」とわかるように葉タバコが看板のモチーフになっています。

わかりやすいうえ、なんかオシャレ。

江戸のタバコ屋は、看板ではなく障子に葉タバコの絵を大きく描き、京や大坂のタバコ屋は菱形の板1枚ずつに「た」「ば」「こ」と書いたものをつなげて店先にぶら下げたんだとか。地域によって看板も色々だったようです。

江戸時代のタバコ屋の看板
上方のタバコ屋。画像左に「多」「葉」「粉」(タバコ)と書いた看板が見える

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