武士の内職から名産品も誕生
内職に精を出したのは江戸に住む武士だけではありません。地方の下級武士たちもせっせと内職に励みました。むしろ、藩が武士たちに内職を奨励することもありました。
たとえば、米沢藩の上杉鷹山。「為せば成る」の名言で有名な名君ですが、藩財政の立て直しを図っていた鷹山も武士の内職を奨励しました。
下級武士や武家の婦女子たちが内職として手がけ、やがて米沢名物にまでなったものに「米沢織」という織物があります。
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また、米沢地方の名物料理のひとつ「鯉料理」も、その始まりは上杉鷹山が家臣たちに鯉の養殖を奨励したことなんだとか。最初は米沢城のお堀で鯉を養殖していたというから、鷹山公は考え方が柔軟なお方だったのでしょう。
また、上総国の久留里藩(現・千葉県君津市)では周辺に高級楊枝の材料として知られる「クロモジ」という植物がたくさん生えていたことから、城下で武士たちが楊枝づくりの内職を行っていました。
「楊枝といえば上総地方のものが第一」と非常に評判がよかったとか。久留里城の別名「雨城」から「雨城楊枝」と呼ばれるこの楊枝は現在も高級楊枝として料亭や茶会の席で愛されています。
前述したように、「傘張り」は武士の代表的内職でしたが、地方の武士の内職から誕生した非常にユニークな傘がありました。それが、こちら。
これは「知覧提灯(ちらんちょうちん)」と呼ばれる珍しい傘なのですが、なにがユニークってその変化ぶり。
半開きにすれば傘となり、全開すると提灯に変身、さらに閉じると護身用の武器にもなるという三徳傘なのであります。現在ではインテリアとして使われることが多いんだとか。考案したのは薩摩藩の武士・富永五助さん。江戸時代後期、薩摩藩の下級武士の内職として広まったそうです。
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マンガの元祖は武士の内職だった!?
武士たちが行っていた内職には教養を活かしたものもありました。その代表はこちら。
寺子屋の師匠。
寺子屋は子どもたちが「読み・書き・そろばん」などを学ぶ場所で、現在の小学校に似ていますが、「師匠」と呼ばれた先生に資格は必要なく、武士や僧侶など博識な人物が務めました。
珍しいところでは内職で作家業を始める武士もいました。
マンガの元祖ともいわれる「黄表紙」という新ジャンルの生みの親、恋川春町も本業(?)は駿河国小島藩の武士。
もともと書や絵が得意だったそうで、副業として作家業を始めたところ人気作家となりました。
未来世界を描いた江戸版SFマンガ『無益委記(むだいき)』など斬新な作風でヒット作を飛ばした春町でしたが、寛政元年(1789年)に出した『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』という作品が、老中・松平定信の「寛政の改革」を風刺しているとされ幕府に出頭を命じられる事態に・・・。
病気を理由に出頭に応じなかった春町ですが、その後まもなく他界。失意の末の自殺では、ともいわれています。ヒットしすぎた内職作家の悲しい末路です。
お金はなくともヒマはたっぷりあった下級武士たちの内職事情。傘張りだけかと思いきや、こんなにも色々なことをやっていて、しかもブームの立役者にもなっていたとは。内職、侮れません。