• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年12月16日


武士の内職からブームや名所が生まれる!?


武士の内職から生まれたのは金魚ブームだけではありません。

庶民文化が花開いた江戸時代後期の文化文政年間(1804〜30年)、「変化朝顔(へんげあさがお)」という突然変異から生まれた変わり咲きの朝顔が大ブームとなりました。

変化朝顔という変わり咲きの朝顔(『朝顔三十六花撰』より 万花園主人 撰 服部雪斎 画)
これが朝顔!?と思ってしまうような不思議に美しい変化朝顔が江戸時代に大人気に。品種改良によりバラエティ豊かな変化朝顔が生まれました(『朝顔三十六花撰』より 万花園主人 撰 服部雪斎 画)
ブームのきっかけは、変化朝顔の栽培を熱心に行っていた市兵衛という植木屋さん。市兵衛さんは、金魚の内職でご紹介した下谷の御徒組屋敷に出入りしていたのですが、その縁で生活に苦しむ下級武士たちに内職として朝顔づくりを指南し、武士たちは組屋敷の庭で朝顔の栽培を行うようになったのだとか。

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やがて下谷の御徒組の組屋敷は「朝顔屋敷」と呼ばれ、多くの見物客でにぎわう名所にまでなったというから内職も侮れません。

朝顔をデザインした江戸時代の日傘(『今世斗計十二時 未の刻』三代歌川豊国 画)
見た目も愛らしい朝顔はデザインとしても人気。こんなオシャレな日傘もあったようです(『今世斗計十二時 未の刻』三代歌川豊国 画)
ちなみに、入谷は今でも朝顔で有名で、毎年7月には「入谷朝顔まつり」が盛大に行われ、多勢の来場客でにぎわっています。

内職から花の名所となった場所として、現在の新宿区百人町にあった大久保の鉄砲百人組の組屋敷も超がつくほど有名でした。

鉄砲百人組の伊賀者たちが手がけたのはツツジ。

一帯の組屋敷の庭や垣根で栽培したツツジはなんと数百株ともいわれ、花の盛りともなれば武家の奥方から庶民まで多勢の見物客が押し寄せたそう。江戸時代のガイドブック『江戸名所図会』にもツツジの名所として紹介されるほどでしたので、江戸観光にやってきた地方の人々も訪れたことでしょう。

ツツジが咲きほこる壮麗な眺めにセレブの女性たちもうっとり(『江戸名所図会』「大久保」)
ツツジが咲きほこる壮麗な眺めにセレブの女性たちもうっとり(『江戸名所図会』「大久保」)
植物つながりでいえば、最近若い女性たちの間で密かに人気を高めつつある盆栽も代表的な武士の内職のひとつでした。

ほかに、凧揚げも江戸時代に大ブームとなったものですが、凧揚げの凧づくりも武士の内職として重宝されました。

特に山手一帯の御家人組屋敷では凧づくりを始め、竹細工が盛んに行われていたそうです。手先の器用な人が多かったのか、職人顔負けの繊細な仕事ぶりだったとか。

江戸時代、凧揚げは大ブームになった(『五節句之内睦月』部分 歌川国芳 画)
幕府が禁止令を出すほど大ブームとなった凧揚げ。自作も多かったが買うことも(『五節句之内睦月』部分 歌川国芳 画)

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