• 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年2月27日


早寝早起、規則正しい将軍の1日【前編】


※時間は目安です。

●朝6時頃〈明六つ〉●

起床時間です。将軍が起きると寝ずの番をしていた小姓(こしょう/将軍の身辺雑用役)が「もぅ~」と大声で合図を出しました

牛のマネをしているわけじゃありません。「もうお目覚めです」の略です。この合図を受け、小納戸(こなんど/中奥でのお世話係)が洗顔やうがいの準備をします。

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ちなみに、将軍は起床時間が予定より早くても遅くてもいけません。たとえば10代将軍・家治(いえはる)などは老いてから早朝に目が覚めてしまうことが多くなったけれど、起床予定時間になるまで座敷のなかを静かにウロウロして時間をつぶしていたという逸話があるとか。

また、目覚めても寝床でじっとしている将軍もいたなんて話も。普段と違うことをすると「すわ、体調不良か!?」と大騒ぎになってしまうので、常に“いつもと同じ”を心がけていたわけです。朝から気苦労の多いことですね。

で、起きたらまずは、うがい、歯磨き、洗顔をします。現代のような歯ブラシはありませんが、房楊枝(ふさようじ)というものを使い歯磨きをしました

房楊枝
画像引用元:河内長野の四季
これが房楊枝。柳の小枝などでできており、先は柔らかい房状に加工されています。これ1本で歯を磨くだけでなく、楊枝としても使えるし、舌そうじもできるという優れものです。

歯磨き粉には御典医(ごてんい/将軍家に仕える医者)が塩と香料などを特別にブレンドしたオリジナル歯磨き粉を使ったそうです。このあたりはセレブ感があります。

●午前8時頃(朝五つ)●

朝食です。大奥に泊まった日は御台所と一緒に朝食をとることもありましたが、それ以外の日は中奥の自室でひとりきりで食べました。もちろん小姓たちはいますが、なんかさみしいですね。

将軍の食事といってもわりと質素なもので、二の膳つきの二汁三菜が基本だったそう。朝食の一例をあげますと……

〈一の膳〉
ごはん、汁物、刺身や酢の物などの向付(むこうづけ)、煮物
〈二の膳〉
吸い物、キスの塩焼きなどの焼き物

キスは漢字で「鱚」。魚扁に「喜」という縁起のよい名前の魚だったことから朝食の定番だったといわれています。

朝食を食べている間に将軍は“されること”がたくさんありました。

  • ヒゲや月代(さかやき)を剃ってもらう。(食前との説も)
  • 御髪番(おかみばん/ヘアメイク係)に髪を結いなおしてもらう
  • 医師による朝の健康チェックがおこなわれる。(食後との説も)

これは落ち着かない。将軍って意外とたいへんです。

●午前9時頃(朝五つ半)●

朝食が終わると、裃(かみしも)もしくは紋付の袴など正装にお着替えし、大奥へ行きます。

着替えも将軍はなにもせず小姓たちがすべてやってくれました。ちなみに裃とはこんな感じの着物です。

鍋島小紋裃
(鍋島小紋裃)
時代劇などでよく見かけます。

なお、これは将軍家の裃ではなく佐賀藩の鍋島家のものですが、将軍・大名関係なく武家にとって裃は公服でした。

着替えが終わると大奥にある徳川家先祖代々の仏間に御台所とともに参拝し、歴代将軍の位牌を拝みました。代が下るほど拝む時間も長くなったでしょうね。

●午前10時頃(昼四つ)●

参拝が終わると、御台所が高級女中たちを連れてあいさつにやってくるので、将軍はずらりと並ぶ彼女らにあいさつをします。これを「朝の総触れ(そうぶれ)」といいます。

『千代田之大奥』「婚礼」(楊洲周延 画)
(『千代田之大奥』「婚礼」楊洲周延 画)
この絵は総触れではなく将軍と御台所の婚礼を描いたものですが、将軍と御台所、高級女中たちのイメージということで。ちなみに、画像右が将軍で画像中央の女性が御台所です。

その後、将軍は中奥に戻り普段着にお着替えしました。朝から何度も着替えがあってたいへんです。

そして、昼食までの時間は基本的に自由時間になりました。といっても、遊んでいたわけではなく、当代一流の学者による授業などがあったようです。また、日課となっている武芸の鍛錬に励む時もありました。

武芸の鍛錬(『千代田之御表』楊洲周延 画)
(『千代田之御表』楊洲周延 画)
泰平の世になったとはいえ、将軍はあくまで武家の棟梁。武芸の鍛錬は欠くべからず日課で、弓、剣、薙刀、槍、馬、水練などさまざまな武術に励みました

なお、公務が忙しい時は午前中から老中と面談したり、大名を謁見したとか。なかなかのんびりできませんね……。

『朝鮮通信使 家宣公拝謁之図』
(『朝鮮通信使 家宣公拝謁之図』)
朝鮮からの使節団である通信使に謁見する6代将軍・家宣(いえのぶ)

●12時頃(昼九つ)●

中奥にて昼食。朝食と同じようなメニューだったとか。急ぎの政務がある場合は昼食抜きになることもあったそう。なんだか現代のビジネスマンみたいですね。ちなみに、8代将軍・吉宗は質素倹約を重んじていたため、1日2食だったとか。

●午後1時頃(昼九つ半)●

昼食後は、中奥にある「御休息之間」という部屋で政務。おもな仕事は老中から提出された書類に目を通し、決済をすること。短い時でも2~3時間はかかり、仕事量が多い時は夕方過ぎまでかかることもあったそう。将軍はガッチリと働いていたんですね!

政務が終わると自由時間。大奥へ行って御台所と過ごすもよし、趣味の絵を描いたり、武芸に励むもよし、という感じでした。

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