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早寝早起、規則正しい将軍の1日【後編】
余談が長くなりましたが、将軍の1日に話を戻すと。
●午後5時頃(夕七つ半)●
昼食後の自由時間が終わるとお風呂タイムです。
あつい湯船にのんびり浸かって1日の疲れを流したいところですが、将軍の場合はそうはいきません。入浴時も小姓らがすべてお世話しました。まったくひとりきりになれません。着物を脱がせるのも小姓たちの仕事、身体を洗うのも小姓たちの仕事です。
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糠袋で全身を洗ってもらうわけですが、顔、手、足など場所によって糠袋は別のものに取替え、しかも1回しか使わなかったとか。このあたりはやはりさすが将軍というぜいたくさですね。なお、湯船には浸からずかけ湯スタイルだったといわれています。

江戸時代の糠袋を再現したもの。これは赤色ですが、将軍は白木綿を使用したそう。画像引用元:ポーラ文化研究所
●午後6時頃(夜五つ)●
お風呂でさっぱりしたら夕食です。大奥で御台所と食べる時もありましたが、中奥でひとりで食べる時の方が多かったようです。朝食・昼食に比べるとちょっと品数も増え、お酒もついたそう。でも晩酌の相手もいませんし、ちょっとさみしいですね……。
夕食後は、再び大奥へ行き「夜の総触れ」を受けました。そのあとは、大奥に泊まる場合はそのまま大奥に、泊まらない場合は中奥へ戻って自由時間を過ごしました。
夜の自由時間には小姓を相手に将棋や囲碁、投扇興(とうせんきょう)などをすることもあったそう。ちなみに、投扇興というのはこんな感じのゲーム。

(『青楼美人合姿鏡』「扇屋」北尾重政・勝川春章 画)
絵は遊女たちですが、投扇興をしているところ、ということで参考までに。
画像左下に黒い箱があるのですが、この箱の上に的があり、的に向かって扇を投げ、箱・的・扇がつくりだす形によって点数を競いました。NHK大河ドラマ『篤姫』でも13代将軍・家定が投扇興をしていました。
さて、大奥に泊まる場合ですが、いきなり「今日、泊まりたいんだけど」というのはNG。大奥サイドもいろいろ準備があるので泊まりたい日は昼頃までの事前連絡必須でした。急に気が変って「やっぱり泊まらない」とかもきっとダメなんでしょうね。
また、歴代将軍の命日など忌日、日光東照宮へ参拝の前日などは大奥に泊まるのはNGだったため、お泊りが可能なのは月に数日だけだったそうです。
うーん、厳しいな…。

(『風俗画報』より)
大奥での将軍(画像左)。これから側室を相手に寝るところでしょう
将軍は正室である御台所以外の側室を夜のお相手に選ぶ場合、こちらも事前に指名を伝えなければなりませんでした。
また、側室が人事などに関して将軍に“おねだり”しないよう寝床の近くに監視役の女性が一晩中おり、翌朝、会話の内容は逐一報告されたとか。どこまでもプライバシーなさすぎ。あんまりだ。
●午後9~10時頃(夜五つ半~四つ)●
ようやく就寝時間です。寝ている間も近くに小姓がひかえているわけですから、完全に24時間監視されていました。「将軍の生活とはこういうものだ」と慣れてしまえば気にならなかったんでしょうか。
将軍は自由時間が多くて見方によってはうらやましいですが、なにせプライバシーゼロですし気苦労も多そうですね。
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