その他
女性の旅人を厳しくチェック
改め婆
「入り鉄砲に出女(でおんな)」という言葉がありますが、これは江戸の治安を守るため鉄砲などの武器の出入りと、人質として江戸屋敷に住む大名たちの妻女の出入りを関所で厳しく監視していました。
こちらの絵をご覧ください。おばあさんが女性なのか少年なのか一見すると不明な旅人の股間をチェックしています。このおばあさんが「改め婆」です。彼女は、旅人が女性かどうか、女性ならば所持している「女手形」に書かれた特徴と一致しているかなどを厳しく調べました。
大名から庶民まで需要多し
乳母
乳母というと、将軍家や大名などセレブの子どものお世話係といったイメージがありますが、上流の豪農や豪商、商家などでも乳母がいるのは珍しくなかったそう。また一般庶民でも母乳が出ない場合や足りない場合には乳母にお願いすることがあったんだとか。
独身男性や無精者の強い味方
洗濯屋
洗濯機のない江戸時代、もちろん洗濯も手作業でした。独身男性の多かった江戸では、洗濯の代行は女性の仕事としてポピュラーだったそう。その他、炊事や掃除などの細々とした家事の代行も立派な仕事になりました。
さて、最後は江戸時代の女性が最も憧れた職場。
女性が憧れる職場ナンバー1!
大奥奉公
武家屋敷や大きな商家などに住み込み、主人家族の身の回りの世話や炊事、洗濯などの家事を行ったのが女中や下女と呼ばれた女性たち。江戸では近郊農家の女性たちが口入屋(職業斡旋所)を通して下女奉公に上がることがよくありましたが、基本的に契約期間は1年。しかし、雇用主に気に入れられると契約延長となることもありました。
さて、女性の奉公先にはいろいろありましたが、最高峰はもちろん江戸城大奥。大奥女中になれるのは旗本や御家人の娘がほとんどでしたが、最下級の下女にならば庶民の娘でもツテなどを使ってなることができました。大奥での出世には身元のよし・悪しが大きく影響したので、庶民の娘が大奥で出世することはほとんどありませんでしたが、「大奥で働いていた」というのは婚活において大きな武器になりました。いわゆる「ハクがつく」ってやつです。
江戸城大奥とまでいかなくても、大名屋敷など武家の奥向きに奉公に上がる「御殿奉公」も人気の就職先でした。なぜならやっぱり婚活に有利だったから。
大奥などに奉公するには読み・書きなどの基本的な知識はもちろん、三味線や踊りなどの芸事のスキルも重視されましたので、女の子たちは幼い頃から寺子屋に通い、読み・書きをはじめ各種芸事やしつけなどを学びました。
文芸作品に見る独身女性の仕事遍歴
元禄文化を代表する作家・井原西鶴の代表作のひとつに『好色一代女』という作品があります。2人の若者が「好色庵」という庵に住む老女から懺悔話を聞く、というスタイルのお話です。この老婆が主人公なのですが、もとは没落公家の生まれ。しかし、その生涯はかなりハードで10代の初めから働きはじめ、65歳で庵に落ち着くまで30種ほどの職種を転々とします。
主人公の職歴はこんな感じ。まず、明るい未来を約束されたお堅い官女勤めからスタートし、踊り子である「舞子」、大名の側室、京・島原や大坂・新町の遊女、僧侶の隠し妻である「大黒」、寺子屋の女師匠、商家の奉公人、女髪結、武家屋敷の奉公人、酒席での接待や性的サービスもする「茶屋女」、湯女、妾、遊郭で遊女の管理などをする「遣手(やりて)」など次々に職を変え、果てには街娼である「惣嫁(そうか)」にまで身を落とすのです。住み家も京、大坂、江戸をあっちこっち。かなりタフなタイプです。
これはあくまでフィクションなので江戸時代の女性の仕事遍歴が実際にこんな感じだったかはわかりませんが、それでも独身女性が自力で生きていこうとするとこんなにたいへんだったんだなぁ、ということが垣間見えるようです。
都市部には都市ならではの仕事があり、農村部には農村ならではの仕事があり、漁村にも漁村ならではの女性の仕事がありました。今回紹介したものは女性の仕事の一部で、ほかにもさまざまな職業について女性たちはたくましく生きていたのです。