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宮中から武家、さらに庶民へと広まるひな祭り
江戸時代初期の1629年(寛永6年)3月3日、ひな祭りイベントが広まる最初のきっかけとなったできごとが起きます。
二代将軍・徳川秀忠の娘、和子(まさこ)と後水尾天皇との間にできた興子(おきこ)内親王の7歳のお祝いに京都御所で盛大な人形遊びパーティが開催されたのです。これは記録に残る最古のひな祭りともいわれてます。
この興子内親王、盛大にひな祭りが行われた翌年になんと天皇に即位します。奈良時代以降、長らく絶えていた女帝となった明正(めいしょう)天皇こそ彼女なのです。
盛大にひな祭りが行われた直後に天皇になるという大出世をしたことから、「ひな祭りってめちゃくちゃ縁起いいんじゃないの?」というイメージが武家の間で広まり、明正天皇の幸運にあやかろうと大名たちもひな祭りを行うようになったんだとか。
同じ頃、江戸城大奥でもひな祭りを行うようになり、三代将軍・家光の娘の7歳のお祝いの時には各地の大名たちが我も我もとひな人形を献上したそうな。大量のひな人形、はたして全部飾ったんでしょうか?
また、大名家ではひな人形は嫁入り道具のひとつにもなっていきました。
やがてひな祭りは武家から裕福な町人、そして庶民へと広まり、都市部だけでなく地方でもひな祭りが定着していったのです。
こんな川柳があります。
「かけこんで 雛をせつつく 八ツ下り」
寺子屋から帰ってきたのでしょうか。女の子が「うちも早くおひな様出してよぅ」とお母さんをせっついている情景が詠まれています。川柳からもひな祭りが女の子のお祭りとしてひな祭りがすっかり定着していたことが伺えます。
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時代によって流行スタイルがあったひな人形いろいろ
「ひな人形」といってイメージするのはこんな感じじゃないでしょうか?
平安貴族のような華麗な着物に身を包んだ男雛と女雛。
現代ではひな人形もバラエティ豊かになりましたが、スタンダードはやっぱりこれ。
しかし、江戸時代初期のひな人形はだいぶ違うビジュアルをしていました。
こちらは「立雛」と呼ばれる古式ゆかしいひな人形。
一説に室町時代に呪術道具としての「人形(ひとがた)」と「ひいな遊び」の人形(にんぎょう)が融合したかたちで誕生したものなんだとか。紙製(その後、布製も)の立雛は自立できないので、立てかけるなどして飾ったらしい。
ひな人形の原点ともいえる立雛は江戸時代を通してつくられました。
三代将軍・徳川家光が君臨した寛永年間(1624〜44年)頃、現在のような座ったタイプのひな人形も登場します。その名もズバリ「寛永雛」。
寛永雛の特徴
- 男女一対の内裏雛
- 髪の毛はなく黒く塗っただけ
- 女雛は両手を広げているものが多い
- 女雛の衣服が着物+袴(はかま)という古式スタイル
- サイズは10センチ前後と小さめ
この「寛永雛」が現在につながるひな人形の原型なんだそう。
続いてひな人形に変化が訪れるのは元禄時代(1668〜1704年)。“犬公方”でおなじみ五代将軍・徳川綱吉の治世で、絢爛豪華な「元禄文化」が花開いた時代であります。
そんな華やかな時代の空気を受けて、ひな人形もより豪華かつ精巧になります。
これが「元禄雛」と呼ばれるもの。衣装がグッと豪華になりました。
元禄雛の特徴
- 人形の顔や衣装の生地に芸術性がプラス
- 女雛の衣装が十二単にバージョンアップ(冠はまだなし)
- 髪の毛はまだなく黒塗り
- サイズもひと回り大きめになる
江戸時代中期になるとひな祭りも庶民レベルにまで広まり、盛大に行われるようになりました。
八代将軍・徳川吉宗が活躍した享保年間(1716〜36年)に流行したのがこちらの「享保雛」。
享保雛の特徴
- さらに豪華に進化
- 女雛、ついに冠をかぶり、桧扇(ひおうぎ)を手に持つ
- 男雛、太刀をはき、笏(しゃく)を手に持つ
- 糸でできた髪の毛が生える
- サイズは急激に巨大化
ようやく髪の毛が生えました。
ひな人形の必須アイテムが登場し、かなり現代のひな人形に近づいてきましたね〜。
「享保雛」の注目ポイントはそのサイズ。
初めは20センチ前後だったのがだんだん大きくなって、最終的には50〜60センチを超える巨大ひな人形も出現したんだとか。江戸っ子よ、限度というものがあろうよ。
次第に豪華にそして巨大になっていくひな人形に「待った!」をかけたのは時の将軍・吉宗です。
「ひな人形、デカすぎだろ。」
吉宗は幕政改革「享保の改革」を行ったことでも知られるようにドケチもとい質素倹約の鬼でした。そんな吉宗がこんなぜいたくを見逃すわけがありません。
そこで吉宗が出したのは
「大雛禁止令」
「ひな人形は24センチ(8寸)以下にすること」とサイズを制限。24センチ以上のひな人形は製造も販売も禁止されました。これは細かい…。
しかし、制限がかかると職人魂は燃えるもの。
「芥子(けし)雛」という精巧なミニチュアひな人形が誕生するなど、ひな人形は精巧さと芸術性を高めていきました。
続いて“ワイロ政治家”の代名詞ともいえる江戸時代の大政治家・田沼意次が辣腕を振るった明和年間(1764〜72年)になるとさらに新たなタイプのひな人形が誕生します。
それがこの「古今(こきん)雛」です。
気品がハンパない。
さてその特徴はといいますと。
古今雛の特徴
- 江戸生まれのひな人形
- 目にガラス玉をはめ込むという新手法で、人形の表情が格段に豊かに
- 写実性と装飾性がグレードアップ
- 女雛の冠などがゴージャスに
つ、ついに眼球が!
これはさぞや革新的だったでしょうね。見た人もびっくりしたんじゃないでしょうか。多くの人がその美しさに魅了され、古今雛が大流行したというのもうなずけます。
そして現代へ続く……というのがひな人形の大まかな流れなのですが、江戸時代にはほかにもさまざまなタイプのひな人形がありました。ちょっとご紹介。
象牙のひな人形。
これは欲しい! とっても精巧でいつまで見ていても飽きなさそうです。どれほどのサイズがわかりませんが、たぶんかなり小さいものなんじゃないでしょうか。職人技の極み、という感じです。
土人形のおひな様。
これまたかわいらしい。素朴な感じがたまりません。サイズは15センチほどと小ぶりなのがまたキュート。こうした土人形タイプは、江戸だと今戸焼で有名な今戸でたくさんつくられました。現代のインテリアにもマッチしそうです。
丸顔のひな人形。
江戸時代のひな人形は基本的に面長なのですが、そこに一石を投じて大流行したのがこちらの「次郎左衛門雛」。
特徴は、まるで白玉団子のようなまん丸な顔。江戸時代中期に京の人形師・次郎左衛門さんが考案したもので、その愛くるしい丸顔は京だけでなく江戸でも大流行しました。
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