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庶民を守るヒーロー、町火消の登場
時代とともに徐々に強化されていった消防組織ですが、100万都市・江戸を守るにはまだまだ不十分でした。
大名火消も定火消も武家主導の消防組織。表向きは町人地の消防も担当することになっていましたが、実際には江戸城周辺の武家地の消防活動には熱心で、町人地はおざなり。
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そこに大きくメスをいれ大改革をしたのがこの人。

暴れん坊将軍・徳川吉宗です。
大改革の方針は、「町人による町人のための消防組織を設置せよ!」
この難題を受け、新たな消防組織づくりを実行したのは――

“大岡越前”で知られる名奉行・大岡忠相(ただすけ)です。
ヒゲ抜いてる。
大岡忠相は吉宗の命を受け、1720年(享保5)、町人地を火災から守る町人による民間消防組織「町火消」を組織しました。
時代劇でおなじみ「いろは48組」誕生です。

(落合芳幾 画)
こちらは、「いろは48組」を描いたもの。ちなみに、「いろは文字」のなかで「この文字は嫌だ」ということで「百」「千」「万」「本」にチェンジされた文字が4つあります。それはこれ。
- へ=屁(力が抜けちゃうから?)
- ら=摩羅(まら)(つまり男性器のこと)
- ひ=火(火事に火は良くない)
- ん=終わり(一巻の終わりでは困る)
江戸っ子はなにごとにも縁起を担いだんですね。
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その後、本所・深川16組も加わり、総勢およそ1万人の火消人足が消防活動の主役として江戸の火事と戦います。
江戸時代中期以降の江戸の町人人口が50~56万人くらいだったと推定されているので、5人に1人は消防団員、ということになります。
めちゃくちゃ多い!でも、それくらいの人数がいないと江戸の火災に対応できなかったということなのでしょう。
ちなみに、町火消は町奉行の指揮下にあり、その構成は、町火消全体を統率する「頭取(とうどり)」を頂点に、いろは各組のリーダーである「組頭(頭)」、町火消のシンボルである纏(まとい)を持つ「纏」、梯子(はしご)を持つ「梯子」、そして平の火消である「平人(ひらびと)」となっていました。
町火消は民間の消防組織のため、活動費用は町内で負担しました。さらに、町火消の火消人足はほとんどが鳶職を本業とし、火事の時のみ出動する兼業消防団員。なので、町火消は現在の消防団の前身ともいわれています。

(『大工上棟之図』部分 三代歌川国貞 画)
足場にいるのが、町火消の主力となった建築や土木の職人である鳶たち
町火消のお給料について。現在の消防団員は地域によって異なりますが、数万円程度の年額報酬+出動手当て(数千円程度)が支給されるそうです。江戸時代の町火消たちは、平の火消(平人)で月給450~800文、現代の金額で9,000~16,000円。お金だけみれば割に合わない…。

(『鎮火安心図巻』部分)
しかし、江戸の町を守る町火消は人々から尊敬を集める存在で、特に各組のリーダーである「組頭(頭)」は、与力、力士とともに「江戸の三男(さんおとこ)」ともいわれ庶民のヒーローとして大人気、女性にモテモテだったとか。
上の絵の、画面中央あたりにいる茶色い半纏を着たちょっと大きな男性が組頭です。平時における組頭は、町のもめごとの仲裁なども行う“顔役”であり、湯屋(銭湯)や芝居小屋にはタダで入れるなど余禄もいろいろあったそう。
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