初夢、初売り、書き初め、出初式ーー正月2日はよろず「事始」


先ほどお話ししましたように、元日の江戸は静かなもんでした。忙しいのは子どもと武士くらい。明けて2日になると町は動き出し、にぎわいを取り戻しました。

日本橋の魚河岸では初売りが行われ、大勢の買い物客でごった返しました。

江戸時代の日本橋初売り(『大江戸年中行事之内 正月二日日本橋初売』橋本貞秀 画)
『大江戸年中行事之内 正月二日日本橋初売』橋本貞秀 画
これは正月2日の日本橋初売りのようすを描いたものですが、見てください、この人の波。通りが人で埋め尽くされています。早朝から初荷を積んだ大車があちこちの商家や問屋に押し寄せ、その景色はお祭りのようだったそう。

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武士たちは元日に年始のあいさつ回りをしましたが、町人の場合は2日に年始回りをしました。正装がマナーで、武士と同じように紋付袴、白足袋、雪駄、さらに脇差を1本腰に差しました。あ、2本差しは武士の特権なので、町人は1本だけです。

年始回りをする町人たち(『諸国図会年中行事大成』より 速水恒章 画)
『諸国図会年中行事大成』より 速水恒章 画
こちら、年始回りをする町人たち。きちんとした正装をしているのがわかります。丁稚(でっち)らお供を連れて親族や知人宅を回りました。「年玉」として扇を渡すのはこの時です。

相手の家にあがってお屠蘇(とそ)などを振る舞われる場合もあれば、簡単に門口であいさつをすませる場合もあったそうです。

大きなお店ともなればあいさつする先も多いので、年始回りだけでも大仕事だったでしょうね。

一方、子どもが2日に行う大仕事は書き初めでした。元日に汲んだ水(若水)を使って書くことがポイントです。

寺子屋での書き初め(『風流てらこ吉書はじめけいこの図』歌川豊国 画)
『風流てらこ吉書はじめけいこの図』歌川豊国 画
子どもたちの学びの場である寺子屋でも年の初めには書き初めが行われました。これはその様子。書いたものはみんなに見える場所に貼り出され、上手に書けた子にはお菓子などご褒美もあったんだとか。

現代っ子も冬休みの宿題に書き初めがあったりしますが、ぜひ2日にやってみよう!

正月ならではの商売人や芸人も2日になるとたくさん町に現れ、江戸の町を一層華やかにしました。

今でもお正月になると大活躍する獅子舞、江戸時代からお正月の風物詩でした(ただし、普段の日にも獅子舞をしてチップをもらう芸人はいた)。

江戸時代の獅子舞(『山海愛度図会』「はやくにげたい 下総 葛西海苔 四十八」歌川国芳 画)
若い女性が獅子舞の迫力に怯えています(『山海愛度図会』「はやくにげたい 下総 葛西海苔 四十八」歌川国芳 画)
魔を祓い福を招く獅子舞の姿は江戸時代から今に至るまであまり変わっていないそうです。

今でも新春の芸としてお正月にテレビなどでもよく目にする猿回しも江戸時代からお正月の芸でした。武家に行く派・町家に行く派の2種類がいたそう。馬の疫病を取り除いてくれるといわれ、武家のお正月には欠かせなかったんだとか。

反対に今では見なくなってしまったお正月の風物詩もいろいろあります。

たとえば、「辻宝引き(つじほうびき)」。

辻宝引き(江戸時代の福引き、鳥居清長 画)
鳥居清長 画
今でいう福引きのような感じです。

これはお正月の越後屋の店先。画像右にいるのが辻宝引きです。男性が持っているたくさんのヒモのなかの1本に橙(だいだい)が付いており、これを引くと「アタリ」。景品として浮世絵や双六、鞠、かんざしなどがもらえたそうです。男性の足元に景品が載った台が見えます。お正月の中旬まで町の辻々にやってきて子どもたちにも大人気だった辻宝引きですが、江戸時代後期に幕府に禁じられ姿を消してしまいました。残念……。

ほかにも「鳥追い」というのもかつては有名、今ではあんまり知られていない芸能です。

鳥追い(正月中旬頃までだけ現れた女太夫、『江戸名所百人美女』「赤羽」歌川豊国 画)
『江戸名所百人美女』「赤羽」歌川豊国 画
正月中旬頃までだけ現れた女太夫で、新しい着物に深編笠をかぶり家々を回りました。三味線を弾きながら祝い唄を歌いチップをもらうのですが、かなり美人もいたようです。

正月の祝福芸として「三河万歳(みかわまんざい)」というのも有名でした。

三河国(現・愛知県東部)から毎年正月になると江戸へやってきた正月限定の芸人で、武家屋敷などを回り、座敷でめでたい万歳唄を歌い舞いました。

三河万歳がやってきた新春の武家屋敷(『江戸風俗十二ケ月の内 正月 万歳説之図』揚州周延 画)
『江戸風俗十二ケ月の内 正月 万歳説之図』揚州周延 画
これは三河万歳がやってきた新春の武家屋敷の座敷。画像右に見える紺色の着物を着て折烏帽子をかぶっている男性と、画像中央、鼓を鳴らしながら屋敷の女性や子どもを笑わせている男性の2人組が三河万歳です。お正月らしい華やかで楽しい雰囲気がいいですね〜。

正月2日には町火消の「出初(でぞめ)」「初出(はつで)」もありました。

今でもお正月に消防団員の人たちが出初式をしますよね。高いハシゴの上で逆立ちを披露したりする「出初め式」のことです。

「出初」「初出」は町火消の仕事始めの行事で、真新しい半纏(はんてん)に身を包んだ「いろは四十八組」の火消たちが、それぞれの組の纏(まとい)を掲げ担当エリア内を練り歩きました。テレビでもよく見るハシゴ乗りも江戸時代からあり火消たちの妙技に人々は歓声を送りました。

出初式での火消たちによるハシゴ乗り
年代は不明ですが、出初式で火消たちがハシゴ乗りを披露しています。すごい!画像引用元
こんな感じで正月2日の江戸はとってもにぎやかでした。

“不夜城”吉原も2日が仕事始め

遊女たちは元日に妓楼の主人からプレゼントされた新しい着物に身を包み、普段お世話になっている引手茶屋などに年始回りをしました。晴れ着の遊女たちでごった返すお正月の吉原、さぞかし壮観だったでしょうねぇ。その様子がこちら。

お正月の吉原(『青楼絵抄年中行事』より 十返舎一九 作・喜多川歌麿 画)
『青楼絵抄年中行事』より 十返舎一九 作・喜多川歌麿
お供の遊女見習い少女・禿(かむろ)が羽子板を抱いているのがいかにもお正月らしい。

そして、夕暮れともなればお正月の吉原にも「初買い」の馴染み客たちが愛しい遊女のもとへやってきたのです。

さて、正月2日を締めくくるイベントが「初夢」です。

「初夢っていつ見る夢なの?」というのが毎年疑問として出てきますが、2日の夜に見る夢が「初夢」です。元日の夜ではないのでご注意を。ただし、このあたりのルールは結構あいまいなようではありますが。

正月2日の夕暮れになると「宝船売り」という行商人が登場します。

この人が売っているのがこれ。

七福神が乗った宝船の絵(宝船売りが売る絵)

七福神が乗った宝船の絵です。「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」という文字が書いてあるのですが、これは上から読んでも下から読んでも同じいわゆる「回文」になっています。

2日の夜にこの宝船の絵を枕の下に敷いて寝るとオメデタイ初夢が見られる、といわれていました。

初夢を見るまでは大切に扱われた宝船の絵も、朝になれば用済みになったようで「紙屑のたまりはじめは宝船」なんて川柳もあります。ドライだね。

ちなみに初夢といえば「一富士、二鷹、三茄子」。初夢に出てくるとめでたい物ベスト3ですね。この「一富士、二鷹、三茄子」も江戸時代に誕生したことわざなのですが、なんで富士山と鷹と茄子なのかについては諸説ありよくわからないそうです。家康公の好きなものベスト3説が個人的に好き。

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投稿日: 投稿日:カテゴリ:カテゴリー イベント, 現代に繋がる

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“【食べないおせち料理】江戸時代の正月の常識が現代とだいぶ違う【お年玉はお餅】” への 1 件のフィードバック

  1. rekishi_g says: 2016年12月31日

    三段お重スタイルのおせちの歴史は浅く、戦後になってから。デパートが見た目にも美しい三段重のおせちを競うように売り出したことの影響といわれています。

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