妻ひと筋に生きた人気作家
作家・俳諧師 井原西鶴
井原西鶴といえば教科書でもおなじみ、江戸時代中期を代表する大坂生まれの人気作家です。
絶倫男の一代記『好色一代男』をはじめ、町人の生活を軽妙に描いた『日本永代蔵』など大ヒット作を連発、「浮世草子」と呼ばれるジャンルの第一人者として人気を博しました。
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作家として名を成す以前、西鶴は俳諧師として活躍していました。即吟軽口、奇抜な句風は「阿蘭陀流(おらんだりゅう)」とも揶揄されましたが、型破りな句風は俳壇に新風を巻き起こし、俳諧師・西鶴の名は広く知られるようになっていました。
西鶴が34歳の時、愛する妻が25歳の若さで亡くなりました。恋女房の忘れ形見は幼い3人の子どもたち。妻に先立たれ悲しみにくれる西鶴は、俳諧師らしい供養を行います。
初七日の夜明けから日暮れまで、亡き妻に捧げる句をひとり吟じ続けたのです。その数なんと1000句。詠めども詠めども尽きることはない妻への想い……西鶴という人物は相当に激情家だったのでしょう。
のち、これらの句は大坂俳壇の重鎮による追善句も合せ『俳諧独吟一日千句』として刊行され、さらに西鶴の名を高めることになりました。
また、1,000もの句をひとりで詠んだことで西鶴は「矢数俳諧(やかずはいかい)」という新ジャンルの創始者となりました(自称)。これは、一定の時間内にいかに多くの俳諧を詠むか、というもので、次々に挑戦者が現れ、興行になるほど注目を集めました。
西鶴の記録を抜く猛者も現れましたが、妻の死から9年後、西鶴は一昼夜で2万3500句という途方もない記録を樹立します。
3.5秒に一句、という俄かには信じがたい数字で、これはもはや人間業とは思えません。
もはや絶対に誰にも打ち破ることはできない圧倒的記録を残し、西鶴は俳諧に別れを告げ、以降、作家として新たな道を歩みだします。そして、大ヒット作を次々と生み出し作家としても大成したわけですから、亡くなった妻もあの世からさぞかし喜んだことでしょう。
妻の死後、西鶴は頭を剃り法体となりましたが出家したわけではなかったようなので、再婚話も何度かあったでしょう。
しかし、生涯、再び妻を迎えることはありませんでした。作風の軽さとは反対に一途な人だったようです。
さて、最後はあの俳聖のちょっと意外(?)な恋模様。