江戸俳諧の巨匠、老いらくの恋に溺れる
“江戸俳諧中興の祖”与謝蕪村
(よさぶそん)
与謝蕪村は江戸時代中期に活躍した俳人で、画家としても有名です。
松尾芭蕉、小林一茶と並び「江戸俳諧の巨匠」と称されている蕪村の句の特徴は、画才にも恵まれていた蕪村らしく句から情景が浮かび上がるような写実的かつ絵画的なところにあります。
「春の海 終日(ひねもす)のたり のたり哉(かな)」
「菜の花や 月は東に 日は西に」
「菜の花や 月は東に 日は西に」
など、誰でも一度はどこかで聞いたことのある句をたくさん残しています。
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明治時代を代表する文学者のひとり正岡子規の「俳句革命」にも多大な影響を与えました。
生涯の大半を旅に生きた蕪村は、ムーミンの友だちスナフキンのような飄々としたイメージがあり、恋愛はあまり縁がないような感じがします。が、さにあらず。蕪村も人間。恋をしました。
蕪村の恋のお相手は、意外なことに遊女。
蕪村も友だちと連れだって遊郭に通っていたようです。蕪村が通っていたのは京の一条戻り橋にあった娼家で、「綱(つな)」という名の遊女にぞっこん惚れ込んでいたとか。
「羽織着て 綱も聞く夜や 川ちどり」
など愛しい綱のことを詠んだ句もいくつかあります。この時、蕪村53歳。当時でいえば“おじいちゃん”といわれる年齢なのですが、恋する気持ちは人を若返らせるのか、なんとも艶っぽい句です。
蕪村の恋する気持ちは老いてなおますます盛んだったようで、65歳の時にもまだ20歳そこそこの若い芸妓に恋をします。京祇園の芸妓で、名を小糸。
蕪村の小糸への惚れ込み具合は相当なものだったようで、小糸を連れて芝居見物へ行ったり、馴染みの料亭で酒宴を楽しんだり、誰が見ても小糸のことを詠んだとわかるような句を句集に載せたり……。
しかし、老いらくの恋は度が過ぎたようでやがて周囲から苦言を呈されるようになり、不承不承ながら蕪村は小糸との関係を絶ちました。
「老が恋 忘れんとすれば 時雨哉(しぐれかな)」
老いらくの恋が散った傷心からか、蕪村はそれから8カ月後、68歳で生涯を閉じました。江戸俳諧の巨匠は、老いてなお瑞々しい気持ちを持っていたんですね。
次は恋とはちょっと違うかも。