運命の出会い、そして突然の死別……ドラマのような恋の相手は男性!?
俳聖・松尾芭蕉
松尾芭蕉といえば、言わずと知れた“俳句マスター”であり、「俳聖」としてその名は世界的にも知られています。
などなど、誰もが知る名句は数知れず。
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五・七・五のわずか17文字のなかに情景と心情をギュッと凝縮し、類まれな言語センスでそれを表現しました。「わび・さび」を特徴とする芭蕉の句風は「蕉風」と呼ばれ、俳句の世界に革命を起こし大勢の弟子たちにより広まりました。
これは辞世の句といわれるものですが、この句の通り、芭蕉の人生は旅とともにあり、旅のなかインスピレーションを得て多くの名句を残しました。
俳句の道に生きた芭蕉は、内縁の妻こそいましたが生涯独身でした。有名な句や肖像画などを見てもあまり色恋に縁がある感じにも思えませんよね。
ところが、芭蕉が特別かつ強烈な想いを寄せた人物がいました。
その名は坪井杜国(とこく)。
芭蕉より13歳年下の男性です。
当時、男色(今でいう同性愛)はタブー視されていないどころか、命がけの“ストイックな愛の形”として武士を中心に盛んにおこなわれていました(戦国・江戸時代の男色文化の詳細)。
さて、芭蕉が杜国と運命の出会いを果たしたのは、1684年(貞享元年)の冬のこと。『野ざらし紀行』の旅の途中でした。芭蕉が名古屋で開いた句会に杜国が参加していたのです。
杜国は裕福な米商人で、風雅を好む青年。一説にかなりのイケメンだったとも。俳句のセンスにも恵まれていたようで、芭蕉はすっかり杜国を気に入ってしまい弟子にします。
翌年、江戸へ戻る旅の途中にも芭蕉は杜国と再び会い、別れ際にはこんな句を杜国に贈りました。
「白げしに はねもぐ蝶の 形見哉(かな)」
杜国を白げしの花に、自分を蝶にたとえることで、17文字にこれもでもかと込めた別れの切なさには胸を打たれるものの、40歳の男が27歳の青年にプレゼントする俳句とは思えない。
ただ、芭蕉を敬愛する杜国にすると、こんな情熱的な句を贈られたら感激したのではないでしょうか。
その後も芭蕉は旅三昧、俳句三昧の日々を過ごすわけですが、あの切ない別れから3年後、芭蕉と杜国は再会を果たします。
この時、芭蕉は『笈の小文(おいのこぶみ)』の旅にあり、江戸から鳴海を経て伊賀へ向かっていました。が、鳴海から“わざわざ”100㎞(25里)もの長距離を逆戻りして渥美半島の先っちょの保美(ほび)村に足を運びました。
それはなぜか? そう、杜国に会うためです。
ちなみに杜国がなんでこんなところにいたかというと、詐欺商売を行ったという罪で追放刑に処せられ、同地にて蟄居生活を余儀なくされていたからです。
愛しい弟子に再会した芭蕉は、胸の内にあふれる喜びを句にします。
「夢よりも 現(うつつ)の鷹ぞ 頼母(たのも)しき」
杜国を想うあまり夢にまで見ていたんですね。
その後、芭蕉は杜国と伊勢で落ち合い、一緒に旅を続けます。旅の出発にあたり、杜国はこんな提案を芭蕉にします。
「旅の間は“万菊丸”と呼んでください!」
仮にも追放刑で蟄居中ですから変名を使ったのかもしれませんが、“万菊丸”っていかにも男色相手のような妖しさがプンプン漂っています。
これに対し芭蕉は
「幼名みたいで非常にいいんじゃない!」
とまんざらでもなかった模様。
しかも、出発の戯れにと笠の内側に2人で句を落書きしたりと、それはもうキャッキャウフフなはしゃぎっぷり。うん、もう、好きにやるといいと思う。
旅の途中でも芭蕉は
「寒けれど 二人で寝る夜ぞ 頼母しき」
なんて、熱っぽい句を詠んでいます。“俳聖”のイメージからは想像できない乙女っぷり。
オモシロいのがこの絵。
これは芭蕉が描いた『万菊丸いびきの図』。
万菊丸こと杜国はイケメンながらいびきがかなりうるさかったようで、芭蕉が「あなたのいびきはこんなにうるさいんですよ」とこんなものを描いたそう。
嫌いな男の大いびきなら殺意が沸きそうですが、愛しい男の大いびきだからこんなユーモラスな作品も生み出せます。
仲睦まじく100日もの長旅を楽しんだ2人は、旅のゴールである京で別れます。きっと再会を約束したことでしょうが、芭蕉が杜国に再び会うことはありませんでした。
蜜月旅行から2年後の正月。
芭蕉は杜国から長らく連絡がないことに焦れて「連絡がないけど元気? 病気とかしてない?」という手紙を送ります。虫の知らせ、というやつかもしれません。芭蕉の不安は的中、その年の3月に杜国は世を去りました。
杜国亡き後も芭蕉の想いは変わらなかったようで、晩年のひと時を過ごした京嵯峨の落柿舎で杜国の夢を見た芭蕉は、自分の泣き声で目を覚まします。
杜国が世を去ってすでに1年以上が経つのにこの情愛はただならぬものがあります。芭蕉と杜国に男色関係はなかった、ともいわれますが、いやいや尋常の師弟関係ではこれほどの感情は生まれません(確信)。
杜国の死から5年後、芭蕉も世を去りました。
誰もが名前を知る有名文化人たちにもこんな一面があったのかと思うと、親しみがわきますね。
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