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あんなものからこんなものまで。なんでもランキングに庶民は夢中
大相撲には力士のランキングを表にした「相撲番付」がありますが、誕生したのはなんと江戸時代。その頃から今に至るまでほとんど変わっていません。

現在の相撲番付
中央一番上の大きな文字は「蒙御免(ごめんこうむる)」。これは、相撲興行は役所の許可をもらって行っています、の意。この文言も江戸時代から変わっていません。
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「番付」といえば、相撲以外でも「長者番付」などがあるように「あるジャンルのランキング」の意味でも使われます。「食べログ」などもいわば「番付」の一種です。
ランキングは現代人も大好きですが、現代人以上にランキングが大好きだったのが江戸時代の人々です。
江戸時代の後期、相撲番付を模倣して、さまざまなジャンルのランキング=「見立番付(みたてばんづけ)」が大流行しました。ランキングされたものは、料理屋、名所、温泉など。料理屋ランキングは、まさに「江戸版食べログ」。
まだあります。評判の美人や文化人、流行のお菓子に節約おかず、災害時の義援金から敵討ち、良妻・悪妻などなど、じつにありとあらるゆものがランキングされ「見立番付」として出版されました。

(『浮世床』より、式亭三馬 作)
髪結い床(今でいう床屋)に集まった庶民は、待ち時間の間、本を読んだり噂話に興じました。見立番付もこういった時間に楽しまれたのでしょう。
なんでもランキングした見立番付は、気軽に楽しめる庶民メディアとして大人気となりました。いまみると、見立番付からは当時の庶民の生活が見えてきます。
さっそく、江戸時代のユニークで興味深いランキングの世界をのぞいてみましょう。
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なんども出版された江戸版・食べログ「料理茶屋番付」
庶民もグルメを楽しむようになった江戸時代後期。江戸の人々も大いに食べることを楽しんでいました。そして現代と同じようなレストランランキングも何度も出版されるほど人気でした。

1859年(安政6)に出版された料理茶屋の見立番付。東西に分けてランキングしているのは相撲番付のスタイル
1859年の料理茶屋見立番付ですが、なんと183店も掲載!中央一番上に「即席会席 御料理」とタイトルが書いてあり、その下に行司(ぎょうじ)の欄として22店の名が並んでいます。ここに名が書かれているのは江戸の料理茶屋でも別格のお店で、一番下に大きく書かれた3店「平清」「八百善」「嶋村」は別格中の別格、いわば三ツ星。
さらにその3店のなかでも中央にどーんと書かれた「八百善」は超絶別格料理茶屋ということになります。

(『江戸高名会亭尽』「山谷」歌川広重 画)
1717年(享保2)に浅草山谷で創業し、江戸随一の名店として浮世絵などにもたびたび登場した八百善。文人の高級サロンとしても有名で、庶民にとっては雲のうえの存在。
ちなみに、八百善は現在も健在!江戸料理の伝統を今に伝えています。
今日のおかずはこれで決まり!「倹約おかず番付」
タイトルは「日々徳用倹約料理角力取組」。つまり「毎日の倹約おかずランキング」。

行司を務めるおかずはなにかと見てみますと……たくあん漬け、ぬかみそ漬け、梅干、ラッキョウなど漬物がズラリ。世話役には、でんぶや唐辛子などの名が並びます。勧進元(興行主催者)とその補佐役である差添(さしぞえ)は、味噌・塩・しょうゆの三大調味料。さすがの貫禄。
年寄は、かつおぶし、塩辛、佃煮、ごま塩の4品が務めています。おかず番付の趣向は凝っていて、番付の「東西」分けが「精進料理」と「魚料理」の分けかたになっていてそれぞれでランキングされています。
庶民がどんなものを食べていたのかがわかる非常に興味深いランキングなのでちょっと細かく見ていきましょう。
第3位「小結」
- 精進料理…きんぴら
- 魚料理…芝えびからいり
おー!現代人にもおなじみ「きんぴら」が第3位に登場しました。きんぴら、やるな。「芝えびからいり」はどんなものかといいますと、芝えびをサッと炒めてしょうりで味付けしたもの。現代人からしたら倹約おかずどころか贅沢おかずです。
続いて、第2位「関脇」
- 精進料理…こぶあぶらげ
- 魚料理…むきみ切ぼし
んん?
どちらもパッと見ではイメージがわかない。「こぶあぶらげ」は昆布と油揚げの煮物です。おばあちゃんの家に行くと出てきたりします。「むきみ切ぼし」はアサリなど貝の剥き身を切り干し大根と煮たものです。おいしそう。
第1位「大関」を発表!
- 精進料理…八杯豆腐
- 魚料理…めざしいわし
1位がいよいよ聞きなれないおかずでちょっと困惑。「八杯豆腐」とは、水6酒1醤油1の割合で煮た豆腐に大根おろしを乗せたもの。簡単でおいしいと大人気でした。めざしは今も昔も庶民の食卓で重宝されていたんですね。栄養価も高いですし納得の1位です。
ちなみに「前頭」以下は次のようなランキングです。
- 精進料理…煮豆、焼豆腐吸したじ(焼き豆腐のすまし汁)、ひじきの白和え、切り干し煮つけなど
- 魚料理…鮪から汁(鮪の赤身の味噌汁)、こはだだいこん、たたみいわし、いわし塩焼きなど
とまあ、こんなおかずが江戸の庶民に愛されていたのですが、今も食卓にのぼるおかずがチラホラあるのがおもしろいですね。
食べることが大好きだった江戸っ子。見立番付もグルメ関係がたくさんありました。たとえば……

「東都御菓子調進司」
これは江戸にあるお菓子屋さんのランキング。
200店以上が掲載されています。ゴーフルなどのお菓子で有名な上野風月堂も西の小結(第3位)にランクインしています。

「江戸前大蒲焼番付」
こちらは鰻屋さんだけのランキング。
およそ200軒の鰻屋が掲載されていますが、実際にはこれ以上の鰻屋があったといいます。江戸の町は鰻屋だらけですね。
160年たっても納得の「温泉番付」
日本人の温泉好きは今も江戸時代も同じ。当然、温泉ランキングもありました。東日本の温泉VS西日本の温泉というスタイルになっており、効能の高さによってランキングされました。

これは1851年(嘉永4)に出版された温泉ランキング「諸国温泉功能鑑」。今でも温泉地として有名な熱海温泉が行司を務めています。上位にランクインしている温泉も現代人にもおなじみの有名温泉が続々。
たとえば、最高位の「大関」は東が草津温泉、西が有馬温泉。「関脇」は東が那須湯本温泉、西が城崎温泉。ほかにも、別府温泉、下呂温泉、箱根湯本温泉といった有名どころの名が見えます。効能によりランキングされているため、温泉名のうえに効能が書かれているのも温泉番付の特徴です。

(『東海道名所絵』「ハコ子湯治」歌川国貞)
東海道の名所を紹介した浮世絵シリーズのうち箱根温泉。箱根温泉は番付にもランクインする人気温泉地。温泉と美人は相性ばつぐん、ということで湯上り美人は浮世絵の題材として人気でした。(江戸の浮世絵・絵画特集は別記事で特集しています)
1位はもちろんあの事件!「仇討ち番付」
なんと仇討ちまでランキングしています。

別格として行司を務めるのは「太閤山崎主仇討」。太閤・豊臣秀吉が主君・織田信長を討った明智光秀を倒した「山崎の戦い」のことです。興行主催者である勧進元には有名仇討ち「曾我兄弟仇討ち」が選ばれています。
ちなみに、日本人が大好きな赤穂浪士による仇討ち、いわゆる「忠臣蔵」はといいますと……堂々の1位に輝いています。忠臣蔵人気おそるべし。
現代人も"あるある"連発。「うそ」番付
見立番付には相撲番付のスタイルを模倣したもののほかに、芝居番付のスタイルをとった横長・上下2段タイプもありました。

こちらの「うそくらべ見立評判記」も横長タイプの見立番付で、なんと「うそ」のランキングという変り種。「それ嘘だろ!」として、東の「大関」は「女なんてきらいだという若者」、西の「大関」は「早く死にたいという年寄り」。うん、なんだか今と変わりません。
ほかにも「尼になりたいという娘」「惚れましたという茶屋女」「元値じゃという商人」「生きておりますという魚売り」「この女は愚僧の姪でござる」など現代人も思わず「あるある~」とうなづいてしまうような「うそ」がランクインしています。何百年たっても人間ってあんまり変わっていないんですね。
現代女性は激怒!?江戸時代の妻はこうあるべし「良妻・悪妻番付」
これまで紹介した番付とちょっと異なりカタイ番付もありました。

これは良妻と悪妻をランキングしたものですが、江戸時代の女子教訓書『女大学』に書かれたお堅い道徳観をベースにしているため、現代女性が見たら激怒しそうです。ちなみにこの番付は「東西」の分けではなく、「白(よい妻)」と「黒(悪い妻)」に分けてランキング。
ホワイト妻の1位は「万事主の指図を請ける女房」、ブラック妻の1位は「ヤキモチ焼きの女房」となっております。白の方の女房は、貞操を守り、子どもには行儀を教え、家業を手伝い、亭主にさからわず……とまぁ、正直、「絵に描いた嫁」です。ブラック女房には、亭主の悪口を言ったり、おしゃべり好きだったり、トレンドを追いたがる女性がランキングされています。
ランキングされたのは女房だけではありません。亭主のランキングもありました。

東が「善の方亭主」、西が「悪の方亭主」となっており、良い亭主の1位は「奉公人を取り立てて店を出せる亭主」、悪い亭主の1位は「養子先の家名を潰す亭主」。
そのほか、よい亭主は「健康に気をつかって長寿な亭主」「酒をのんでごきげんな亭主」だそうです。逆に「妻の尻に敷かれる亭主」や「じじむさい亭主」なんかは「悪」らしい。江戸時代は、女性だけでなく男性にもなかなか手厳しいですねぇ。
江戸っ子のシャレ心が炸裂する究極のランキング「いらないもの番付」
なんでもエンタメ化して楽しんでしまうのが江戸の人々の特徴。見立番付には「いらないものランキング」なんてものまでありました。その発想はなかった。
「こんなものはいらない」として、「批判を打つ人」「不孝の子」「不忠の奉公人」ときて「泣き言」「碁を打つときの助言」なんてものも。どれも思わずうなずいてしまいますね。
ちょっとおもしろいのが、人体の部位も「いらないもの番付」の対象になっていて、たとえば、「鼻毛」「男の乳」「金玉」といった部位は「いっそなくてもいい」ということでランクインしています。江戸時代にはどんな機能を果たしているか不明だったので「いらねぇな」と思われていたのでしょうね。
なんでも番付して楽しんだ江戸時代の庶民。トレンドだけでなく食生活や考え方などがリアルにとらえられた番付からは江戸時代の人々の生き生きとした姿が浮かびあがってくるようです。
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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?
1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。
(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。
(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。
江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?
パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。
「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。