平賀源内の晩年
溢れ出るアイデアとそれを実行する行動力で凡人には思いもよらないものを次々と発表し、常に人々を驚かせてきた源内ですが、実用化されたものはほとんどなく、世間の評価は山師(ペテン師)でした。
終生浪人の道を選んだ源内は、常に資金不足であり生活のため細工物をつくるなどアルバイトもしていました。
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自信家だったという源内は、理想と現実の落差に次第に焦りを募らせ、鬱々としたものを内に溜め込んでいきました。晩年の源内は心のバランスを崩し癇癪を起こすことが多くなったといわれています。
そして、エレキテル修復という快挙からわずか2年後、平賀源内は投獄されてしまいます。
事件の詳細は不明な点が多いのですが、大名屋敷の修理を請け負った際、酔った源内が勘違いから大工2人を殺傷してしまったといわれています。
投獄から1ヶ月後、源内は獄中で世を去りました。享年52。死因については、破傷風による病死とも絶食しての餓死ともいわれてますが真相は不明です。
最後に。
山師と後ろ指を指されていた平賀源内。
孤独な源内の葬儀を執り行い、その後、墓碑を建てるのまで尽力した人物がいます。
それは、若き日に出会い、ともに『解体新書』の出版に情熱を注いだこともあった
杉田玄白。
墓碑には生涯の親友・平賀源内を悼む、玄白の言葉が刻まれています。
嗟 非常ノ人、
常識にとらわれない源内よ
非常ノ事ヲ好ミ、
常識を超えたことを好み、
行ヒ是レ非常、
やることも常識を超えていた
何ゾ非常ニ死スルヤ
だからといって、どうして非常な最後まで迎えてしまうのか