日本の西洋画の源流に源内あり!?
アーティスト源内、陶芸だけでなく西洋画も描いています。
なかなか力強く色合いもステキです。この『西洋婦人図』は日本における西洋画の先駆的作品といわれています(一説に日本初の西洋画とも)。
好奇心旺盛な源内は、長崎留学中に西洋画の技法も独学でマスターしたそう。
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ちなみに、鉱山開発の指導のため秋田藩に行った際、源内は秋田藩主と藩士・小野田直武に西洋画の画法を教えました。その後、源内とともに江戸へ出た弟子の小野田はある歴史的作品の挿絵を手がけます。
それは、
日本初の翻訳医学書として有名な『解体新書』です。
すばらしい挿絵。師匠・源内が教えたであろう陰影法がふんだんに使われています。
ちなみに、『解体新書』の序文は源内が書いているのだから、まあ、この人は本当になんでもしてます。
『解体新書』の著者のひとりである蘭方医・杉田玄白は源内の無二の親友だったのですが、玄白は友・源内についてこんな風に言っています。
「(源内は)生まれつき物の理を悟ることが早く、時代の風を読むことにも長けた才人である」
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ベストセラー作家になった!
浪人である源内は食べていくために自分で稼がねばなりません。
ということで、作家もやりました。もともと俳句もたしなんでいた源内は文才にも恵まれていたようです。
35歳の時に「風来山人(ふうらいさんじん)」のペンネームで出した『風流志道軒傳』『根南志具佐(ねなしぐさ)』などの戯作が大ヒット、戯作の第一人者になりました。
さらに、「福内喜外(ふくうちきがい)」のペンネームで書いた浄瑠璃の脚本『神霊矢口渡(やぐちのわたし)』も大ヒット、同作は歌舞伎化もされ現在でも上演されているというからスゴイ。
ほかにとっても奇抜な本も書いています。
オナラを真面目に考えた文化論で、タイトルは『放屁論』。
源内、いわく
「(おならの)音に三等あり。
ブツと鳴るもの上品にしてその形円(まろ)く、
ブウと鳴るもの中品にしてその形いびつなり、
スーとすかすもの下品にて細長い」
なお、『放屁論』は屁を論じたものですが、ふむふむと読んでいくと、最終的には社会批判という重いテーマに繋がっていきます。
作家として十数作品を世に送り出した源内ですが、印税制度もない時代、いくらヒットしてもそれだけで大儲けとはなりませんでした。な、なんと…。
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