いろんなものを発明
とめどなくあふれるアイデアを源内は発明品として形にしました。どんな発明品があるかというと…
たとえば日本初の万歩計「量歩計」。
ヨーロッパ製の歩数計を手に入れた源内は日本風に改良を加え「量歩計」という万歩計の元祖のようなものを発明しました。
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また、寒暖計もつくっています。オランダ製の寒暖計を入手した源内は、「これならすぐつくれそう」と言って実際に作ったそう。
ほか、燃えない布「火浣布(かかんぷ)」。
源内は秩父山中で偶然に石綿(アスベスト)を発見したことをきっかけに、石綿を混ぜて織った世にも珍しい燃えない布「火浣布」をつくりあげました。試作品を自信満々に幕府に献上し、「よっしゃ、火浣布を産業化しよ!」と目論んでいた源内でしたが、技術的にも難しく実用化には至りませんでした。
さらに、日本初の国産毛織物も源内が第一人者です。当時、輸入にたより高級品だった羅紗(らしゃ)の国産化を目指し、なんと羊の飼育から始めました。ラーメンを作るにあたり小麦から作るTOKIOに通じるものがある。ただし、これも軌道に乗らず頓挫。
そうなんです、天才・奇才といわれる平賀源内ですが、実によく失敗しています。
「失敗を恐れるな」とはよく言いますが、「生涯フリーター縛り」による身分の保障もないなか、過去の成功の焼き直しもせず、この後も源内は自らの好奇心に突き動かされていきます。
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鉱山家としてひと山当ててやる!
本草学者として活躍したり、発明家として発明にいそしむ一方、前述したように石綿(アスベスト)を発見した経験のあった源内が乗り出したのが、金山の再開発事業。
お金と人出をどしどし費やしますが、肝心の金があまり出ず失敗。
その後、鉄山の開発事業に乗り出しましたが、技術者の技量不足でこれも失敗に終わりました…。
ただ、”鉱山家”源内の名は広く知られていたようで、秋田藩からのオファーを受け鉱山開発の指導をしたそうです。
オリジナル陶器を輸出しよう!
源内は陶芸にも興味を持ちます。
長崎に留学していた時、中国やオランダから輸入される陶磁器が高額で取引されているのを見た源内の発想は、
「いい陶磁器を日本でつくり、むしろ世界に輸出してやれ」
スケールがデカイ。で、本当に自らつくりました。
これは源内が考案した「源内焼」と呼ばれる観賞用の陶磁器。よく見ると、世界地図がデザインされていて、“世界”を見据えて源内の心意気が伺えます。
源内は故郷の志度やその周辺を拠点に、自ら指導者となってまで源内焼の産業化&輸出を目指しました。が、スポンサーがつかず資金不足などがネックになり、またしても失敗に終わりました。
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