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あの有名キャッチコピーを考案!?
プロモーションが得意で文才のあった源内は、いくつかキャッチコピーを考案しコピーライターの元祖ともいわれています。特に有名なコピーがこれに関するもの。

うなぎ。
一説に、夏場にうなぎの売上が伸びないことに悩んだうなぎ屋に頼まれた源内が考えたキャッチコピーが
本日、土用丑の日。
このキャッチコピーを上手く使うことでうなぎが大売れしたんだとか。これにより「夏といえばうなぎ」といわれるまでに土用丑の日のうなぎは大流行したといわれてます。(考案者は諸説あり)
また、清水餅というスイーツの宣伝コピーも源内がやったそうです。
さらに、源内は日本初のCMソングも手がけています。歯磨き粉「漱石膏」の宣伝用に作詞作曲したものがそれで、江戸で流行したらしい。
それにしても「日本初」をいくつやってのけているのか…。
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謎の物体「エレキテル」を復活!
さて、平賀源内の業績として一番知られているのがエレキテル。源内が発明した、と勘違いされることも多いですが、「発明」ではなく「修復」。
まず、エレキテルとはこんなもの。

静電気発生装置「エレキテル」(平賀源内が修復)。※これは復元です
エレキテルは静電気発生装置なんですが、当時、西洋では見世物や治療なんかに使われていたそうです。
で、壊れたエレキテルをたまたま源内が手に入れます(入手経緯は不明)。当然、エレキテルに夢中になる源内。
ただ、さすがの源内でも簡単に修復はできません。なぜなら「静電気」というものの原理もわからないので、それは無理ゲー過ぎる。当時、西洋ですらまだ「電気」についての研究はそれほど進んでいない状況でした。
しかし、源内は情報が乏しいなかあきらめることなく、独自に勉強をし試行錯誤を重ねることで、エレキテル入手から7年後(!)、ついに修復に成功したのです。

「これで俺もようやく後世に名を残す仕事ができた!」
自信満々にエレキテルを引っさげ、源内は貴人や大商人、武家などセレブ相手に実演パフォーマンスを行いました。青い火花が散りビリビリする謎の箱に人々は興味津々、たちまち大評判となり、一躍、源内は時の人となります。平賀源内、48歳の時のことでした。

源内の死後に出版された『紅毛雑話』に描かれたエレキテルを使っての電気治療のようす。著者の森島中良は源内の門人
が、エレキテルブームはあっけなく終わりました。
“ビリっ”とさせ人を驚かせるエレキテルは「見世物」として一瞬話題にはなりましたが、人々はすぐに興味を失ってしまったのです。源内はエレキテルを医療器具として使う予定だったともいわれますが、それには電流が弱すぎました。
エレキテルから電気学に発展することができたら源内の評価は確たるものになっていたかもしれませんが、エレキテル研究はここで終わってしまいます。