江戸にしかない屋台「刺身屋」ってなんだ?
100万都市・江戸は独身男性が多かったこともあり、屋台グルメが発達した都市でありました。
そんな江戸で、江戸時代後期になると「刺身屋」という屋台の店があちこちに登場しました。これは名前の通り刺身を専門に扱う店で、主にマグロや鰹の刺身を売っていました。
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江戸時代後期の風俗百科『守貞謾稿(もりさだまんこう)』によりますと、 刺身屋の刺身は料理屋と比べると質は劣るが、値段が50~100 文(約 1000~2000 円)と安いので大繁盛していたそう。お客はお皿を持参し、好みの刺身を盛り合わせてもらったようです。
「刺身」と「お造(作)り」……刺身をめぐる江戸と上方の違い
現在、お店などでメニューを見ると「刺身」と書いてあったり「お造り」と書いてあったりしますが、この違いってなんだかご存知ですか? それは……
東西での呼び方の違い
です。 江戸では「刺身」、京・大坂の上方では「お作り」 と呼んでいたのが今にも残っているのです。
前述のように、刺身黎明期、切り身を「刺身」と呼ぶようになったのは武家社会で「切る」という言葉が“縁起が悪い”と嫌われたから。
さらに上方では「刺す」という言葉も嫌われ「作る」になったといわれています。公家文化ですからね、そのあたりも関係あるのでしょうか。……諸説ありますが。
その後、「お作り」が「お造り」となり、現在では東西の区別なく「刺身」「お造り」どちらも使われ、さらに、どちらかというと「お造り」の方が高級感のあるイメージが強くなっている傾向にあります。
東西比較の話題が出たのでついでに、江戸時代における江戸と上方の盛り付けの違いのお話しも。
「江戸料理と京料理、どっちの盛り付けが繊細そうでしょうか?」と聞かれたら、なんとなく京料理の方に軍配が上がりそうな気がしませんか? ところが、再び登場の江戸時代後期の風俗百科『守貞謾稿』によりますと――
「京や大坂では、切り方も盛り付けも雑。江戸は切り方も精巧で盛り付けもきれいに並べて盛るのがよいとされている」(ざっくり意訳)
とあります。新鮮な江戸前の魚介が手に入る分、どうやら江戸の方がこだわりが強かったみたいですね。
これは花見の宴を描いたもの。手前中央にごちそうが並んでいます。寿司や刺身もあります。
刺身は赤身と白身の2種類がきれいに盛り付けられています。紅白2種盛は江戸の料理屋などでは基本の盛り付けだったそうです。
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