次はパーっと楽しく。
人生、楽しくおいしく
桜を愛でながら飲めや歌えの花見パーティ。画賛の「楽志(し)みは花の下より鼻乃下」というのは「花より団子」ってことでしょうか。花見に集まった人々の個性的なことといったらない。
どう見てもヒヨコですが「子供」とあります。・・・子供!?!?!?
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赤塚マンガのキャラみたいなこの人物、説明には「おやぢ寒がる」とあります。花見パーティで寒がるオヤジになぜか愛嬌を感じます。
さきほどヒヨコみたいなのがいましたが、またプリケツの鳥みたいなのがいます。でも、鳥じゃなくて人です。両手を広げて「ヨロコブ」姿のようです。ブーン。
ここにもやっぱりいました、花見名物リバースする人。そんなの描かなくても…とも思うのですが、以前紹介した江戸時代の大食い大会でもやっぱり吐く人が描かれていました。仙厓版では「ベッコウハク」とちょっと洒落た言い回しの説明がされています。
ほか、おもしろいのが「ミテイル」と説明されたギャラリーがいること。花見の宴を見ているだけってなに目的なんでしょうか。仙厓和尚もこんな楽しい花見パーティをきっと楽しんだのでしょうね。
次、ドッキリ大成功?
うわっ! びっくりした〜
「どっひゃ〜」とびっくりしすぎな男性と、それを見て笑う男性。リアクション大賞を贈呈したいくらいの、見事な驚きっぷりです。さて、男性はなににびっくりしているのかなーーと足下を見ればヘビが絡みついている!?と思ったら本当はただの縄でした、という場面。
「化物の 正体見たり 枯れ尾花」という句がありますが、それと似たような感じですね。画賛は「切れ縄に 口はなけれど 朧月」。落ち着いてよく見たら「なーんだそんなことか」と思うようなことは日常でもよくあります。
最後を締めるのは仙厓和尚の代表的3作品。
柳のように生きるのさ
風に揺れる柳の木と「堪忍」の大きな文字。シンプルながらダイナミックな作品です。画賛は「気に入らぬ風もあろうに柳哉」とあります。人間、生きていれば気に入らない風にさらされることもままある。でも、柳のようにサラリと受け流すことも大切。意固地になってポッキリ折れてしまったらもう立ち直れない。受け流しつつ堪え忍ぶーー「堪忍力」の重要性を柳に託して説いています。
次はちょっと一服。
この○な〜んだ?
描かれているのはシンプルな○。満月? 穴? それともお皿? 画賛を見ると「これくふて茶のめ」とあります。というとこは、おまんじゅうだ!「仙厓さん、お腹空いてた?」と思っちゃいますが、実はこの絵にも仙厓流“悟り”解釈が込められています。
○は禅宗において“悟りの境地”を表すものだそうで、禅僧たちにとっては大切なシンボルイメージ。しかし、それを「おまんじゅうだと思って食べちゃいなよ」と言ってしまう。“悟り”なんてものは“さらに深い悟り”への入り口にすぎない、という仙厓和尚の修行へのストイックな姿勢が表現されているんだとか。ただの○かと思ったら深い○、でもただのおまんじゅう。うーむ、これぞ禅問答。
次は△と⬜︎も加わった!
おでん?
仙厓和尚といえば“ゆるカワ”というイメージを覆す、現代美術のような謎めいた抽象画です。前衛的な雰囲気で、さながら“江戸時代のコンセプチュアル・アート”といった感じです。パッと見、おでんか?と思ってしまう⬜︎と△と○の組み合わせ。その解釈をめぐってはさまざまな説があります。
例えば、「⬜︎は修行を始める前の自分、修行を通して角が減り△となり、○は悟りの境地を表す」とか「この世の全ては○△⬜︎の図形に代表される、つまりこの絵は大宇宙」とか。仙厓和尚はこの作品について説明を残していないので、きっと仙厓和尚から見る者への壮大な謎かけなのでしょう。
子どもの落書きのように無邪気なタッチの仙厓作品、「かわいい〜」と思って見始めたら、いつの間にか自分を見つめ直していたり。仙厓ワールド、奥深し。でもまずは小難しことは考えず、かわいい仙厓作品に癒されましょう。