晩婚の俳人、50歳を過ぎて精力大爆発
俳人・小林一茶
小林一茶は先ほどの与謝蕪村と並び江戸時代を代表する俳人のひとり。
「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」
「我ときて 遊べや親の ない雀」
「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」
「我ときて 遊べや親の ない雀」
「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」
などの句はとっても有名ですよね。
生涯に22,000句といわれる膨大な俳句を詠んだ一茶ですが、生前はあまり評価されなかったそう。
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明治時代になり正岡子規が「一茶の俳句はすばらしい!」と高く評価したことにより再評価され名を高めました。子規曰く、「滑稽」「風刺」「慈愛」の3点が一茶の特徴なのだとか。
さて、俳人として有名な一茶ですが、私生活は波乱万丈、幸せとは言い難い人生でありました。
幼い頃に母と死に別れた一茶は継母と折り合いが悪く、14歳(15歳とも)の時に故郷の信濃国(現・長野県)から江戸へ奉公に出ました。父の死後はその遺産を巡り、継母&弟を相手に骨肉相食む壮絶な遺産相続争いを12年の長きに渡って繰り広げます。
そんなこんなで一茶は婚期を逃しまくり、初めて妻を迎えたのはなんと52歳の時。晩婚も晩婚、超晩婚です。お相手は「きく」という名の28歳の女性。
「五十婿(むこ) 天窓(あたま)をかくす 扇かな」
という句には、親子ほども年の違うお嫁さんをもらった嬉しさと恥ずかしさがあふれています。
一説に初婚を迎えるまで童貞だったといわれる一茶。若いお嫁さんをもらったことでこれまで抑えてきた性欲が爆発したのか、52歳の老境に入った人とは思えないほどの精力絶倫ぶりを発揮します。
文学者の性(さが)なのか、日記にセックス記録を詳細に書き残しているのですが、その回数がスゴイ。
昼夜問わず連日なのはもちろん、多い時には1日で5回も交わったとか。これ、52歳のおじいちゃん(当時としては)ですよ。
一茶は強壮剤を飲みセックスに備えたそうです。
一茶がこれほど性生活に励んだのは、家族に恵まれなかった境遇と自身の年齢を考え一刻も早く子どもが欲しい、と熱望していたからともいわれています。
がんばりの結果、一茶はきくとの間に3男1女をもうけるのですが、悲しいかな、子どもたちはみな幼くして他界、妻のきくまでも37歳で世を去りました。
「小言いふ 相手もあらば けふの月」
また独りぼっちになってしまった一茶の孤独はいかばかりか……。
半年後、一茶は2番目の妻「ゆき」を迎えます。しかし、中風を患う一茶の看病に疲れたのか、はたまた一茶の精力絶倫ぶりに辟易したのか、わずか半年で離婚します。
またしても一茶、独りぼっち。
このまま孤独死か……と思いきや64歳で3度目の結婚をします。お相手は32歳で子連れの「やを」。32歳差婚。
一茶は58歳の時に脳卒中で倒れ半身不随になっていましたが、精力が衰えることはなかったようで、やをとの間に女の子をもうけました。でも、一茶が愛娘を胸に抱くことは叶いませんでした。娘が誕生するのを待たず、一茶は65歳で世を去ったのです。
恋とはちょっと違いますが、有名な俳人にこんな精力的な一面があったなんて意外ですよね。