遊女より高級! 陰間遊びをバーチャル体験
せっかく(?)なので陰間遊びをバーチャル体験。まずは陰間茶屋へ行ってみましょう。
陰間茶屋は「子供屋(こどもや)」ともいい、上方では「若衆屋(わかしゅや)」「若衆宿」「若衆茶屋」などと呼ばれました。
陰間と遊ぼうと思った場合、客はまず陰間茶屋へ行きます。江戸の場合、陰間茶屋に抱えられている陰間は客に呼ばれれば、芝居茶屋や料理茶屋などに赴きそこで接客をしました。いわば、出張営業。もちろん性行為もします。ただ、陰間茶屋によっては店の2階で接客を行うところもあったようです。
上方の場合は、「若衆屋」で接客することはなく、客の待つ茶屋へ陰間が派遣されました。
おもしろいのが陰間茶屋から派遣された陰間が茶屋へ移動する際、お供の金剛が布団を運ぶこと。性交時に使う布団は陰間茶屋からわざわざヨイショヨイショと運んでいたらしい。
さて、ここで陰間遊びの値段について。
平賀源内先生の著作『男色細見三の朝』によれば芳町の陰間茶屋での値段設定は次のとおり。※1文を暫定的に20円として計算。
- 一切(約1〜2時間)→一分=約2万円
- 2切(約2〜4時間)→一分二朱=約3万円
- 1日買い切り→二両二分=約20万円
- 半日買い切り→一両一分=約10万円
吉原の高級遊女「昼三(ちゅうさん)」の昼間の揚代が三分=およそ6万円なので、それと比べても陰間の高級っぷりがよくわかります。別途チップを支払えば陰間と一緒に外出できたり、宿泊することもできたようです。
ちなみに一切(ひときり)というのは時間の長さのことなんですが、茶屋の帳場に置かれた線香が燃え尽きるまでの時間を一切と決めていたそう。江戸では「チョンの間(ま)」なんて言い方をします。なお、一切が現代でいうところの何分なのかは諸説あります。
茶屋の店員は客が陰間が2階へ上がるのを見計らって線香に火をつけ、線香が燃え尽きたら2階へ上がり「お迎いでございます」とタイムアップを伝えました。イヤな客の場合、陰間がこっそり線香を折って終了時間をわざと早くするなんてこともあったそう。ひどい。
さてさて、待ちに待った陰間が2階にやってきたら、まずは酒宴が開かれます。焦らない。がっついてはいけません。
陰間の演奏する三味線を堪能したり、宴席遊びなどをひとしきり楽しんだところで、いよいよベッドイン。茶屋の店員が屏風を立て、布団を敷くなど準備をし、準備が完了したら「お床(とこ)がまわりました」と客に声をかけます。
『天の浮橋』という江戸時代の書物に陰間茶屋での性行為のようすがくわしく描かれているので、それをもとにどんな感じだったのかを見てみましょう。
床の準備が整ったら、陰間は帯を解き、振袖を脱ぎ屏風にかけます。着物を脱いでいくさまは色っぽかったでしょうが、客はまだガマン。
長襦袢姿になった陰間にはまだ下準備があります。紙と潤滑剤(通和散)を持ってトイレへ行き、ツバでドロドロにした潤滑剤を肛門の内部にまでしっかり塗り込め準備完了。手をきれいに洗ったらようやく客の元へ。
今か今かと待っていた客は陰間を布団に押し倒すと、自分の男根を取り出し、それにたっぷりツバをつけ陰間の肛門に挿入し、肛門性交に及びます。射精後は、男根の根元をしっかりと紙で包みながら肛門から引き抜き、すぐにきれいにしました。
性交後、陰間はすぐにトイレへ行き肛門内部から精液を搔き出しました。そのままにしておくと痔になる、と考えられていたらしい。この際、後処理の音がお客に聞こえないようなるべく客から遠い場所のトイレへ行ったともいいますから、徹底した気づかいです。
余談ですが、陰間との肛門性交の場合、体位は後背位(いわゆるバック)が基本だったそうですが、慣れたらいろんな体位でできたそうです。