あの名画にも描かれた、鮮度バツグンの初鰹を江戸へ運んだ超高速船
江戸っ子垂涎の初鰹は江戸にほど近い海、たとえば伊豆や房総沖などで獲れたものですが、特に人気を博したのが相模沖で獲れた鰹でした。
相模(現・神奈川県)と江戸はそれほど遠くはありませんが、冷蔵・冷凍技術のない江戸時代、鮮度バツグンの初鰹を江戸へ届けるにはとにもかくにもスピードが命でした。
そこで活躍したのが「押送船(おしおくりぶね、おしょくりぶね)」という小型船。
細長い船体と尖った船首、軽量ボディが特徴で、風力+人力が生み出すスピードは江戸時代の船のなかでも群を抜いていました。
その姿はあの世界的に有名な名画にも描かれています。こちら。
天才・葛飾北斎の代表作のひとつ『冨嶽三十六景』のうち「神奈川沖浪裏」です。
世界に誇るこの「グレート・ウェーブ」に木の葉のように翻弄されているのが押送船です。初鰹もこんな風に命がけの配送によって江戸へ運ばれていたのでしょう。
大急ぎで江戸へ運ばれた初鰹は、これまた威勢のよく走りまわる初鰹売りによって大急ぎで人々に売られました。こうした縁の下の力持ちたちのおかげで人々は鮮度抜群の初鰹を味わうことができたのです。
次は、こちらもめでたい初ナスについて。
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初ナス人気が高じて、農業技術もアップ!
「一富士 二鷹 三茄子(なすび)」とは初夢に見ると縁起のよいもののこと。このことわざからもわかるように江戸時代から初ナスは縁起物でもありました。「成す」に通じるから縁起がいいとも。
江戸時代初期、ナスの産地として有名だったのが神君・家康公のゆかりの地、駿河(現・静岡県)。
5月(旧暦)に箱根の山々を越えて駿河から江戸へ運ばれる「初なりのナス」は将軍家にも献上され、庶民もその味を楽しみたいと初ナス競争が激化すると信じられないような高値で取引されるようになりました。
初物ブームの元祖は初鰹ではなく、初ナスにあったんですね。
「誰よりも早く初ナスを食べたい!」という消費者の要求に応えるように、野菜農家も他所より早くナスを出荷しようとあれこれ研究を重ねました。出荷が早ければそれだけ高い値もつく。
その結果、「早出し」と呼ばれる野菜の促進栽培が可能になり、江戸近郊の野菜の名産地・砂村(現・東京都江東区)では3月(旧暦)に初ナスが出荷されるようになりました。
その後も「ナスをいち早く!」という競争は続いたようで、初鰹でも登場した超高級料亭「八百善」では正月中旬にナスをお客にすすめた、なんて話もあります。高級料亭では早すぎる初物を売りにし、お客もそれを食べることを自慢にしたようです。
ちなみにナスは旬のはしりの初物だけでなく、旬の終わりのものも「終わり初物」などといってありがたがられたんだそう。