なんとしてでも食べたい! 魔性の食べ物、初鰹
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
これは江戸時代中期の俳人・山口素堂の有名な句です。
目で新緑を楽しみ、ほととぎすの声に耳を澄まし、初鰹に舌鼓を打つーー江戸時代の人々が春から初夏にかけてどんなものを愛していたのかがよくわかります。
そして、この素堂の句をベースにしたのがこちらの川柳。
「目と耳は ただだが口は 銭がいり」
新緑を見るのも、ほととぎすの鳴き声を聞くのもタダだけど初鰹はお金かかるよね! という身も蓋もない内容です(笑)。
でも、そんな川柳を詠みたくなるくらい、初鰹はとっても高価でした。
スポンサーリンク
こんなエピソードがあります。
1812年(文化9年)の初夏のこと、日本橋の魚河岸に17本の初鰹が入荷しました。そのうち6本を将軍家がお買い上げ、3本は超高級料亭「八百善」が2両1分(約18万円)でお買い上げ、残りの8本は魚屋へ渡りました。
なんだか算数の問題文みたいだな。
で、その魚屋から当時の人気役者・三代中村歌右衛門が初鰹を1本買ったのですが、その値段がスゴイ。なんと1本3両です。現代のお金に換算すると初鰹1本が約24万円。狂気の沙汰だぞ。
中村歌右衛門は3両で買った初鰹をその後、大部屋の役者たちに振る舞ったんだとか。うーん、男前。
「みかん大尽」として有名な豪商・紀伊国屋文左衛門と初鰹のエピソードもまたすごい。
ある時、「誰よりも早く初鰹を吉原で食べたいな」と思い立った文左衛門さん。吉原にある高級店の主人に「江戸に初鰹が1本も入らないうちに初鰹を食べさせて」とムチャぶりをします。そこで主人は金にものをいわせて初鰹が出回らないようにし、用意したたった1本の初鰹を文左衛門に出しました。あっという間に食べちゃった文左衛門と仲間たちが「もっと出せ、もっと出せ」と要求しますが、主人は「たしかにもっとありますが真の初鰹は先ほどの1本のみ」と答えました。これを聞いた文左衛門は「そこ心やよし!」とばかりに喜び、主人に褒美として50両(約400万円)をあげたんだとかーー。
みんなして狂気の沙汰だぞ。
とまぁ、初鰹には仰天エピソードがいっぱい。それだけ人々の関心が高かったということでしょう。
1本3両はやりすぎですが、それでも1本1両(約8万円)とか2両(約16万円)というような値段で取引されていた初鰹、庶民には手が届きそうにありません。でも、なにがなんでも初鰹を食べたい。
こんな句があります。
「褞袍(どてら)質においても初鰹」
冬の防寒着、褞袍を質に入れてそのお金で初鰹を買おうという魂胆です。
なかにはグループで初鰹を購入しワリカンする人たちもいたそうな。そこまでするか…。
なんで江戸っ子がこんなに初鰹にフィーバーしたかというとその理由のひとつは鰹の縁起のよさにあるといいます。「勝男(かつお)」なんておめでたい語呂合わせも喜ばれたように、縁起がいい。
また、鰹節が武家社会での贈答品の定番だったように、鰹は武士にとっても大切な魚でした。先を争って初鰹を食べようとした庶民の気持ちのなかには、武士への対抗心も少なからずあったのかもしれませんね。
さてさて、「旬のはしり」の初鰹はむやみやたらに高額でしたが、旬ともなれば値も下がり1本1000~2000文=約2~4万円には落ち着きました。まぁ、それでもまだ高いですが……。
旬の鰹の方がリーズナブルだし味もいいのですが、それでも江戸っ子たちは「高くなくっちゃ初鰹じゃねぇ!」と粋がり、なけなしのお金をはたいてでも初鰹を味わおうと奮闘しました。
現代人だと初鰹より秋の「戻り鰹」の方が人気ですが、脂ののった戻り鰹よりさっぱりとしたさわやかな味わいの初鰹が江戸っ子好みだったようです。
また、現代だと鰹の刺身といえば生姜じょうゆが定番ですが、江戸時代に鰹に欠かせないのは辛子(カラシ)でした。辛子味噌や辛子酢、辛子じょうゆなどで鰹の刺身を食べたのだとか。これはこれで美味しそうなので、ちょっと試してみたいですね。
冷蔵庫もない時代、足の速い鰹などを刺身で食べる薬味に殺菌作用のある辛子を使うのは非常に合理的でもあったんですね。
翌日になるともう刺身では食べられないので、残った場合は蒸したりして調理したそうです。
次ページ:あの名画にも描かれた、鮮度バツグンの初鰹を江戸へ運んだ超高速船