• 更新日:2020年1月25日
  • 公開日:2017年2月2日


節分になると現れる「厄払いさん」って何者!?


節分の日暮れになると「厄払いさん」「厄拂(やくばらい)」などと呼ばれる人が江戸、京、大坂の三都をはじめ全国あちこちに現れました。

「厄払いさん」は、「やくはらいましょう〜」などとよばわりながら町を歩き、声がかかるとその家へ行きお祓いをしました。江戸では「おんやく、おんやく」という呼び声だったらしい。

厄払いさん(『人倫訓蒙図彙』より)
『人倫訓蒙図彙』より
画像右のほっかむりしている人物が「厄払いさん」です。

「厄払いさん」という謎の人物の正体は下級の宗教者だったり物乞いだったりで、頼む人もそれほどお祓いに効果を求めていなかったそうな。「厄払いさん」に支払うお金も少額なので「これも縁起物」と割り切った気持ちだったのかもしれません。

小説『怪談』の作者として有名な明治時代の作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)も自著『二つの珍しい祝日』のなかで日本の節分について書いており、文中に「厄払いさん」らしき厄落としの人も登場します。

余談ですが、八雲は節分の季節について「冬が和ぎそめて春となる季節」と非常に美しい表現をしています。さすが作家さん、というポエティックさ。

今では消えてしまった「厄払いさん」ですが明治時代にはバリバリの現役だったようです。

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節分グルメの今や定番「恵方巻」は謎だらけ


さて、最後は今や節分といえばコレ、というほど全国的に有名になった「恵方巻」について。

恵方巻
画像引用元:縁起物百科事典
かつては関西地方など限定の風習だった恵方巻ですが、今ではデパート、スーパーやコンビニ各社もこぞって恵方巻を販売し、老いも若きも「とりあえず恵方巻、食べとくか」みたいな空気感すらあります。

念のため「恵方巻」とはどんなものかといいますと、七福神にちなんで7種の具材を巻いた太巻きで、食べ方にポイントがあります。恵方を向いて目を閉じ、願い事を念じながらモグモグと無言で丸ごと1本食べきる、というもの。実際やってみるとこれがなかなか大変。あと、大勢でやるとかなりシュール。

そんなユニークグルメ「恵方巻」は知名度こそバツグンなものの、由来や起源については諸説あり謎が多いのです。

一説に、江戸時代末期に大坂の商人たちが商売繁盛を祈願して太巻きを食べたのが恵方巻のルーツともいわれています。が、はたまた、豊臣秀吉の家臣が節分の夜に巻き寿司を食べたのが由来とも、花街の花魁が(以下略)……とも。とにかく諸説ありすぎてよくわかりません(苦笑)。

発祥地も大坂が有力ですが、和歌山説や滋賀説もあるらしい。

関西地方で習慣化したのは、1970年代に大阪の海苔関係者たちによる海苔の販売促進を狙った節分イベントがきっかけなんだとか。バレンタインを仕かけたチョコ業界と同じにおいがします。で、そのあと徐々に全国的に広まっていったわけです。

節分グルメとしては恵方巻きのほかに、節分に蕎麦を食べる風習が江戸時代からありました。これを「年越蕎麦」と呼んでいたそう。「年越蕎麦」というと現代では大晦日に食べる蕎麦を連想しますが、江戸時代の「年越蕎麦」は節分グルメだったのです。また、大坂では麦飯とイワシの焼いたものが節分グルメの定番だったとか。

そのほか、「福茶」というおめでたい特別なお茶もポピュラーな節分グルメ。これは福豆、昆布、梅干、山椒を入れた茶碗に煎茶や湯を注いだもの。節分だけでなく元日にも福茶を飲んだのですが、元日バージョンは元旦にはじめて汲んだ水を使い「大福茶」と呼ばれました。なんともおめでたい!

『高名美人六家撰』(喜多川歌麿 画)
こんな美人が福茶を運んでくれたら幸せも倍増しそう(『高名美人六家撰』喜多川歌麿 画)

なんとなく豆をまいて豆を食べていた節分のイベントですが、知れば知るほど奥深くおもしろいですね。今年は恵方巻きを食べるだけでなく、ぜひ1年の福を願いながら力いっぱい豆をまきましょう!

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