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寺子屋の先生は無資格でしかも兼業先生!?
さてさて、現代の小学校と寺子屋の違いをざっと羅列すると――
- 義務教育ではない
- 先生は無資格
- 入学、卒業とも年齢は自由
- 授業時間に決まりはない
- 決まった時間割はない
- 授業内容に決まりはない
- 教科書は人それぞれ(え?
- 授業料も人それぞれ(え?
などなど。
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こう見ると小学校とはまるで別物です。では、それぞれについてもうちょっとくわしく見ていきましょう。
義務教育が江戸時代になかったのは前述しましたので割愛。まず、先生について。
画像左にいる男性が先生です。当時、寺子屋の先生は「師匠」と呼ばれていました。現在の先生には教育免許が必要ですが、寺子屋の先生は無免許、学と志があれば誰でもなれました。
どんな人が先生になったかというと、僧侶、神官、武士、浪人、医者、町人、村役人などが多かったんだとか。また、女性の先生も結構いたようです。専業で先生をやっている人はまれで、ほとんどが副業として先生をしていたそうです。隠居後の仕事として先生をやっている人も多かったみたいです。
江戸時代の子どもたちにとって、寺子屋が初めてのそして最後の教育機関になることが多かったため、寺子屋の先生を「生涯の師」と慕う生徒もたくさんいたとか。そのため、先生が他界すると生徒たちで費用を出し合い遺徳をしのんで墓石を建てることもあったそう。
これがその墓石で、寺子屋の生徒を「筆子(ふでこ)」と呼んだことから「筆子塚」といいます。写真は東京都江戸川区にある萬福寺に残る筆子塚ですが、同様のものは全国あちこちにあり、師弟愛の深さを今に伝えています。いい話だなあ。
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寺子屋に通う子どもたちの年齢はバラバラ
続いて、寺子屋に通う子どもたちの年齢について。入学の年齢について特に決まりはありませんでしたが、江戸ではだいたい男女ともに入学年齢6~7歳だったとか。卒業の年齢も任意ではありましたが、だいたい男児12~13歳、女児13~14歳で卒業したとか。このあたりは現代の小学校とほぼほぼ同じですね。
女の子は教育の仕上げとして、武家や大店(おおだな)に女中奉公へ行くこともあったそうです。