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払えるだけでOK!? 良心的だった寺子屋の授業料
最後は入学金と授業料について。現代の小学校は義務教育ですから入学金・授業料は無料です。一方の寺子屋は個人経営なわけですから、入学金である「束修(そくしゅう)」と授業料である「謝儀」を納めるのが一般的でした。
しかし、入学金・授業料ともに決まった金額はなし。
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先生のほうも「いくら払ってね」とうのは絶対にいわないお約束になっており、基本的には払える額を払ってくれればいいよ、というスタンスでした。
たとえば、授業料は年に5回納めるのですが、1回分は裕福な大店(おおだな)の子どもなら金1分(約2万円)、あまり裕福でない家なら200~300文(約4000~6000円)とピンきり。
さらに現金とは限らず、農村などではこんなものを授業料として払うこともあったとか。
授業料、とれたて新鮮な野菜。
地域によっては、お酒や蕎麦、餅、スルメなどなんでもありです。とにかく「支払える分を払えばよし」というなんとも良心的な授業料でした。
ほかに、畳を新調するための費用として「畳料」200~300文(約4000~6000円)を6月に、手を温めるための炭代として「炭料」200~300文(約4000~6000円)を10月に支払いました。また、盆暮には日頃のお礼として餅やそうめんなどの品物を贈ったそうです。
そのほかにも寺子屋で使用する紙や墨、筆などの消耗品も自腹です。当時、紙は貴重品でしたので真っ黒になるまで何度も何度も書きました(使用後はもちろん再利用)。
寺子屋は民間の個人経営でしたが、経営者である先生は授業料だけではとても食べていけません。しかし、授業料にこだわらなかったのは、あくまで兼業師匠だったこともありますが、なにより「子どもたちに知識を教えたい」という志によるボランティア精神。
また、寺子屋の先生になると人別帳(にんべつちょう/今でいう戸籍みたいなもの)に「手跡指南」と登録されたり、周囲から「寺子屋のお師匠さま」として尊敬を集めるなど見えない部分で満足を得られることがいろいろあったんだそうです。