あっちへあいさつ、こっちへあいさつーー武士は元日から大忙し


庶民がのんびりと元日を過ごしていた一方、武士たちは元日の朝から大忙しでした。

礼儀作法にうるさい武家のこと、1年の始まりとなるお正月のあいさつ回りは特に重要でした。

江戸に在府している大名たちは残らず将軍に拝謁して新年のごあいさつをしなければなりませんでした。将軍はその権威を諸大名に確認させ、諸大名は将軍に忠誠心を示すのです。正月に江戸城へ登城し将軍に拝謁する日は、家の格によって決まっていました。たとえば、御三家や譜代大名などは元日、御三家の嫡子などは2日といった具合です。

『千代田之御表』より「正月元日諸侯登城御玄関前之図」(揚州周延 画)
『千代田之御表』より「正月元日諸侯登城御玄関前之図」揚州周延 画
ものすごい数の大名が登城するわけですから、一度に全員が将軍に拝謁できるわけではありません。諸大名は官位や石高によって決められた控え室でひたすら番が来るのを待ちました。当然、お供の侍たちも江戸城の外でじっと主人の帰りを待ちました。武士って大変だ。

江戸城の総登城の日は、全国の諸大名が江戸城に集まるとあって、それを見物するヤジ馬な庶民やお上りさんもたくさんいたそうです。

将軍への拝謁が終わって下城しても終わりではありません。

今度は自分より身分の高い武家の屋敷に年始のあいさつ回りが待っていました。なにかにつけ礼儀作法にうるさい武家の場合、あいさつに関しても煩雑な作法がたくさんあり、粗相でもあろうものなら1年間なにを言われるかわかったもんじゃなかったので、新年早々、気を遣いまくりでした。ホント、武士ってタイヘン。

相手も年始のあいさつ回りに出かけているので留守の可能性が大でしたが、留守だとしてもあいさつに伺ったという事実が大事。人によっては元日に数十軒もの屋敷にあいさつへ行かねばならず、いかに効率よく回るか事前に計画したそうです。

大奥も元日から行事が目白押しで大忙し。

おめでたい着物を召した御台所(『千代田之大奥』より「元旦二度目之御飯」揚州周延 画)
画像右にいるのが将軍の正室である御台所。松竹梅や鶴をデザインしたおめでたい着物を召しています。置き眉(いわゆるマロ眉)に「おすべらかし」という髪を下げたヘアスタイルは正式の場に臨む際のもの(『千代田之大奥』より「元旦二度目之御飯」揚州周延 画)
でも、大奥も庶民の家と同じく元日には掃除をしなかったんだとか。

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“不夜城”吉原も元日はお休み


華やかのようでいて過酷な生活を送っていた吉原の遊女たちですが、“不夜城”吉原も元日は完全休業でした。この日ばかりはお客を取らなくてもよいので、遊女たちもホッとしたことでしょう。

庶民が元日に「初湯」で心身ともにさっぱりしたように、吉原の遊女たちも元日の朝に湯に入り、ヘアスタイルを整えました。

その後、妓楼の大広間に主人をはじめ遊女や禿、下男など全員が集まり、雑煮を食べて新年を祝いました。

庶民の女の子たちと同じく、若い遊女や禿らは外で羽根つきをしたり、部屋のなかで双六やカルタをして正月を楽しんだそうです。

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投稿日: 投稿日:カテゴリ:カテゴリー イベント, 現代に繋がる

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“【食べないおせち料理】江戸時代の正月の常識が現代とだいぶ違う【お年玉はお餅】” への 1 件のフィードバック

  1. rekishi_g says: 2016年12月31日

    三段お重スタイルのおせちの歴史は浅く、戦後になってから。デパートが見た目にも美しい三段重のおせちを競うように売り出したことの影響といわれています。

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