刺身につけるのは醤油だけじゃない! 江戸時代の刺身の食べ方がマネしたくなる

  • 更新日:2019年9月8日
  • 公開日:2016年2月16日

刺身が食べられるようになったのはいつから?江戸時代のお刺身につけていた意外な調味料とは?そして、謎の屋台「刺身屋」とは?江戸時代のお刺身事情についてまとめました!

刺身はいつから食べられるようになった?


現代のお刺身

今では「刺身」という漢字が使われますが、古くは「指身」「指味」「差味」「刺躬」などとさまざまな漢字が当てられていました。

刺身が文献上初めて登場するのは室町時代。『鈴鹿家記』という書に「指身 鯉 イリ酒 ワサビ」と書かれており、これが刺身の最古の記録だとか。どうやら鯉の刺身を食べたようです。

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しかし、室町時代以前にも日本には魚などを生で食べる文化がありました。それは刺身の原型ともいえる「鱠(なます)」という料理で、その誕生は奈良時代にまでさかのぼるとか。

「なます」といっても、おせちの定番・紅白なますとは別物で、新鮮な魚介類を生のまま細かく刻んで酢で調味したもの。「刺身の酢の物」といったイメージ。なお、雉(きじ)などの獣肉を細切りにして酢で調味したものは「膾(なます)」と呼ばれていました。微妙に漢字が違います。

さて、刺身もはじめは「さしみなます」と呼ばれており、鱠の一種だったそうです。やがて刺身が独立した料理として発展していくわけですが、鱠と刺身の違いは“切り方”と“調味法”の違いにありました。

鱠(なます)
細かく刻んで酢で調味
刺身
膾より厚く切って切り身に。後から調味料をつける

『風俗三十二相』「おもたさう 天保年間深川かるこの風ぞく」(月岡芳年 画)
(『風俗三十二相』「おもたさう 天保年間深川かるこの風ぞく」月岡芳年 画)幕末の作品。女性が運ぶごちそうのなかに、大皿に盛られた赤身と白身の刺身が。
ちなみに、なぜ、切った魚なのに「切り身」とよばず「刺身」とよぶのでしょうか?

その理由は、「切る」という言葉が武家社会にあって「人を切る」「腹を切る」など縁起のよくない言葉につながるため嫌われたからだとか。

また、切り身を盛り付ける際、なんの魚かわかるように使った魚のヒレを切り身に“刺し”たから、とも、「これは○○という魚です」と“指し”示して説明したから、ともいわれています。ここらへんは諸説あります。

刺身につける調味料はバラエティ豊か


「刺身につける調味料といえば醤油!」が定番化したのは、じつは江戸時代も後期になってから。刺身黎明期である室町時代、刺身につける調味料といえばでした。わさび酢、生姜酢、たで酢などで食べます。

江戸時代になって、新たな調味料が登場します。それは、

煎酒(江戸時代の刺身調味料)
画像引用元:銀座 金春通り
煎酒 (いりざけ)です。

煎酒とは、酒に梅干、削り節を入れたもの。これをトロミが出るまで煮詰め漉します。醤油の普及以前、刺身に欠かせない調味料として愛されました。近年、伝統的調味料として注目を集め、入手することもできますので興味のある方はぜひお試しください。

ほかにも、辛子酢、山椒味噌酢、酢味噌などバラエティ豊かな調味料が刺身となる魚ごとに使い分けられ、人々の舌を楽しませていました。鯉の刺身である「あらい」を酢味噌で食べるのは、江戸時代の名残りといえます。

そして、江戸時代後期になると江戸の近郊でも醤油がつくられ庶民も手軽に醤油を使えるようになり、「刺身に醤油」という今に続く食べ方が一般化していきました。

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