江戸時代の火消しは破壊が仕事!? 現代の消防士と違いすぎるその実態とは?

「め組」で有名な江戸時代の火消し。その火消し方法や使った道具、衣装などはどれも興味ぶかいものばかり。火事が多かった江戸時代における消化の歴史を振り返ります。

3年に1度は大火災!?火事が多かった江戸の町


俗に「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるように、江戸の町はしょっちゅう火事が起きていました。

『安愚楽鍋(あぐらなべ)』(仮名垣魯文 著)
(『目黒行人阪火事絵巻』部分)
江戸三大大火事」のひとつ、1772年(明和9)に発生した「明和の大火(目黒行人坂大火とも)」のようす。死亡者数は1万4000人を超えたといわれます。

18世紀初頭には人口が100万人を超えた大都市・江戸。木造家屋がぎゅうぎゅうにひしめきあう江戸にあって、火事は頻繁に起こっていました。

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江戸を火事から守れ!徐々に強化される消防組織


江戸を火事から守れ!

この難題に立ち向かう消防組織の第一号は1629年(寛永6)に誕生します。名を「奉書火消(ほうしょひけし)」。

幕府が大名十数家に火の番を命じたものなのですが、火災の時に臨時召集されるだけ、日頃から消防訓練をしていたわけではない、役割分担も不明確でした。第一号組織はうまく機能しなかったそうです…。

組織化でまごついている間に、1641年(寛永18)、「桶町火事」と呼ばれる大火が発生。当時の将軍みずからが陣頭に立って消防活動の指揮をとったといわれています。

将軍の名は、

徳川家光の肖像画

徳川家光。第3代将軍です。

家光の奮闘むなしく、桶町火事では大きな被害が出てしまいました。消防組織改革の必要性を痛感した家光は新たな組織を作ります。名を「大名火消」。

家光が大名16家を指名し、4組に編成を整え消防隊としました。消防活動の対象は主に江戸城や武家地で、火事が起きると火元に近い大名が自ら火消したちを率いて出動する、というようにルールも明確化。


しかし、これでもうまくいかない。


大名とは権威と名声をなにより重んじるので、火事の現場に向かうのに華美な装束で行進したり、偉い幕府の役人がくると火事そっちのけで挨拶に行ったりなどしてしまいます。

なかには、一体なにと張り合っているのか、火消しの最中にもかかわらず装束の着替えを行う大名が現れたりして、「大名火消」も消防組織としてはうまく機能しませんでした。

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ちなみに、大名の火消しとして有名なものに加賀藩前田家お抱えの火消し部隊、通称「加賀鳶(とび)」がいますが、こちらは前述の「大名火消」とはまた別で、あくまで加賀藩の自衛のための私設消防団。

『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめかがとび)』「鳶ノ己之助 坂東家橘 鳶ノ石松 中村伝五郎」(三代歌川国貞)
(『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめかがとび)』「鳶ノ己之助 坂東家橘 鳶ノ石松 中村伝五郎」三代歌川国貞)
“加賀百万石”のプライドにかけ、加賀鳶に選ばれたのはイケメンばかり。しかも、彼らは「雲にカミナリ」というかっこいいロゴ入り装束で目立ちまくっていたので、浮世絵などにもよく描かれ人気者になりました。

消防組織としてパッとしなかった大名火消と異なり、加賀鳶は見た目の華やかさに加え、働きぶりをすばらしかったそう。ただ、威勢がよすぎるあまりしょっちゅう喧嘩騒ぎを起こしていました。

話を江戸の火事にもどします。

またもや大規模な火災が江戸を襲います。“日本史上最悪の大火”といわれた1657年(明暦3)の「明暦の大火」です。この火事での死者は推定6万人、江戸の町も焼け野原と化しました。

『江戸火事図巻』部分
(『江戸火事図巻』部分)
じつは明暦の大火の7年前、幕府は新たな消化組織「定火消(じょうびけし)」をつくって、いつか来る大火事に備えていました。定火消は旗本2家を選抜、江戸城周辺の消防活動を専門とします。

大火後、幕府はさらに2家を増やし、旗本4家による強化版「定火消」を組織しました。その後、さらに強化して旗本10家からなる超強化版「定火消」(十人火消とも)を編成するなど、どんどんパワーアップしていきます。

また、これまでの反省から、「定火消」にはいくつかの改善がなされています。

たとえば、任命された旗本は江戸城周辺に家族とともに住める火消屋敷を与えられます。屋敷には火事を監視するための火の見櫓(ひのみやぐら)が設置され、火災を知らせる半鐘(はんしょう)や太鼓も備えられていました。そのため、火消屋敷は現在の消防署の原型といわれています。

『江戸火事図巻』部分
(『江戸乃華』部分 歌川広重 画)
右奥に描かれているのが火消屋敷。塔のような火の見櫓も見えます。火事が起きたのでしょう。定火消がまさに出動するところです。

また、火消屋敷には消火のプロも同居しており、いざ火事となればすぐさま出動しました。

消火のプロの名は「臥煙(がえん)」。100人からなる火消人足です。

『江戸火消絵巻』部分
(『江戸火消絵巻』部分)
これは臥煙の日常を描いたもの。

右上に寝ている臥煙たちがいます。枕にしているのはなんと1本の丸太。いざ火事となると、寝ずの当番が丸太を思いっきり叩き、文字通り臥煙たちを叩き起こしました

また、臥煙の基本衣装は年がら年中、法被(はっぴ)1枚に褌(ふんどし)一丁。これで燃え盛る炎に立ち向かうんですから、なんとも勇ましい。

当然といいますか、臥煙には荒くれ者が多く、火事の時には頼りになるが、平時には悪さをするヤツも結構いて人々に迷惑がられることも少なくなかったとか。

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“江戸時代の火消しは破壊が仕事!? 現代の消防士と違いすぎるその実態とは?” への 3 件のフィードバック

  1. rekishi_g says: 2016年2月26日

    「江戸時代は火事になると、火元の家屋は置いておいて、風下側の家屋を中心にとにかく猛スピードで周辺家屋を壊しまくり延焼を防ぎました」

  2. […] 大火事で辺り一面が煙るなか、火消し2人が必死の作業にあたります。その煙の向こうには満月がうっすらと見える、というダイナミックな対比。よくまあこんな発想、構図が出てくる […]

  3. […] 大火事で辺り一面が煙るなか、火消し2人が必死の作業にあたります。その煙の向こうには満月がうっすらと見える、というダイナミックな対比。よくまあこんな発想、構図が出てくるも […]

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