福井県鯖江市はいつから一大メガネ産地になったのか?
現在、国産メガネフレームの9割以上のシェアを占めるのが、その名を世界に轟かせる福井県鯖江(さばえ)市です。市民の6人に1人がメガネ関係の仕事をしている、とまでいわれています。
では、いつから鯖江が日本を代表する一大メガネ産地となったのか?
時は明治がはじまってから38年もの月日が流れた1905年のこと。
当時の日本では新聞などの普及により眼鏡の需要が高まっていました。そこに目をつけたのが、福井県の貧しい村で生まれた増永五左エ門(ますながござえもん)。五左エ門は、眼鏡フレームづくりを農家の次男坊・三男坊に学ばせ、雪に閉ざされる冬場の仕事として、眼鏡産業を興そうと考えたのです。
五左エ門は工場をつくると大阪から眼鏡職人を呼び寄せ、農家の若者に眼鏡づくりを学ばせ、独立の際には資金援助も行ったとか。また、都会で流行している眼鏡フレームのつくり方を取り入れたり、品評会などを行って職人同士のやる気を競わせるなど、職人の技術と創造性をアップさせるためのさまざまな工夫をしました。
そうした苦労と努力の末、1930年代には眼鏡フレームづくりにおいて鯖江が全国シェアNo.1を獲得するまでになったのです。すごいぞ、鯖江!
「なんで福井県でメガネ?」と疑問に思っていたのですが、その裏にはこんな歴史があったんですねぇ。
江戸時代と眼鏡ってなんとなく関係が薄そうなイメージがありますが、江戸時代の人々にも眼鏡はおなじみのアイテムだったようです。