• 更新日:2017年8月14日
  • 公開日:2017年8月14日


江戸幕府を開いた神君・徳川家康はメガネ男子だった!?


徳川家康といえば日本史にくわしくない人でもその名を知っている超有名人。江戸幕府を開いた偉大なる人物です。そんな家康公がじつはメガネ男子だった、というのは意外と知られていないのではないでしょうか?

徳川家康の肖像画
約265年も続いく泰平の世、江戸時代のはじまりは家康公から。
家康が使っていた眼鏡は静岡県にある久能山東照宮に現存しているのですが、それがこちら(ただしレプリカ)。

家康が使っていた眼鏡のレプリカ
画像引用元:オプティックコイズミ
透明度の高いべっ甲を使ったフレームがおしゃれです。こちらも今でいう“つる”のない手持ちタイプの鼻眼鏡で「目器(めき)」と呼ばれていたそう。

一説にスペイン使節から家康公への献上品だったといわれ、日本で2番目に古い眼鏡とされています。

スポンサーリンク


“健康オタク”といわれるほど健康に気をつかい長生きした家康公も加齢とともに視力が衰えたようで、この眼鏡を愛用していたんじゃないかといわれています。そう、この眼鏡は老眼鏡なんです。レンズの厚みから老眼度数は1.5から2.0くらいだったと推定されるんだとか。

試しに晩年の家康公の肖像画に眼鏡をかけてみましょう。

徳川家康に眼鏡をかけてみた

お! 違和感が仕事を放棄してます。

老眼鏡をかける家康公……なんだか親近感がわきますね。

ちなみに江戸時代の眼鏡はほとんどが老眼鏡だったそうです。近視の人はどうしていたんでしょうか? 日常生活、とても不便だったでしょうね……。

家康公の眼鏡に次いで古いといわれるのがこの眼鏡。

毛利輝元の眼鏡

こちらは“無能大名”として有名な毛利輝元(てるもと)の眼鏡です。

絵に描いたような丸メガネ。フレームの両端に小さな穴のようなものが見えます。もしかしたらここにヒモを通し、耳にかけていたのかな? と思いますが、ヒモ付き眼鏡が登場するのはもっと後年になってからなので、果たしてなんのための穴なんでしょうか?

江戸ブログ 関連記事

江戸ブログ 最新記事

あわせて読みたい 戦国・幕末記事