江戸を焼き尽くした大火事、被害拡大の原因は車長持!?


時は1657年(明暦3年)、「明暦の大火」(別名「振袖火事」)と呼ばれる大火事が江戸で起こりました。2日2晩燃え続けた炎は江戸の3分の2を焼き尽くし、この時、江戸城の天守も焼け落ちました。

明暦の大火(『江戸火事図巻』より)
この大火事を転機に江戸は新たな都市づくりに乗り出すことに(『江戸火事図巻』部分)

5万人とも10万人ともいわれるほど大量の死者を出したこの火事、死傷者数がこれほど増えてしまった原因のひとつが車長持にありました。

どういうことでしょうか?

車長持は有事の際に一家の財産を丸ごと運び出せる便利な収納具なのですが、それが仇になったんです。「明暦の大火」はそれまで江戸で起きた火事とは桁違いの規模の大火事。往来は逃げ場を求める江戸中の人々でごった返し、ただでさえ通行が困難な状態でした。そこに各家が持ち出したデカイ車長持が道をふさいだものだから、もはや通行は不能。結果、大勢の人々が逃げ遅れ、被害の拡大を招いてしまったというのです。

明暦の大火で渋滞を引き起こしてしまった車長持の運搬
「明暦の大火」の惨事を生々しくレポした『むさしあぶみ』(浅井了意 著)にも、車長持による渋滞のようすが描かれています。とにかくデカイし重いし、ジャマだったろうね……。
大火後、これを重く見た幕府は、江戸・大坂・京の三都における車長持の製造・販売を禁じることにしたのです。ちなみに、地方ではその後も車長持は重宝されていました。

便利な車長持が使えなくなってしまった……ならば、代わりになるものをつくればいいじゃないか! ということで誕生したのが、そう、箪笥なのです。

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利用目的によってバラエティ豊かに進化した、江戸時代の箪笥


箪笥は17世紀後半に大坂で誕生したといわれています。1679年(延宝7年)に出された大坂ガイドブック『難波鶴(なにわのつる)』にも、大坂の心斎橋筋に箪笥職人がいた、というような記述が見えます。

箪笥誕生以前に収納具として活躍した葛籠(つづら)や長持などと箪笥の最大の違いは、抽斗(ひきだし)にあるでしょう。ゴチャっとしがちなものを整理・分類して収納できる箪笥は、画期的な収納具。必要なものだけさっと取り出せるので、有事の際に収納具ごと運ぶ必要もありません。

そんな便利な箪笥が一般に広まり始めたのは、元禄時代(1688〜1704年)頃といわれています。“犬公方”こと五代将軍・徳川綱吉の治世で、上方を中心に豪華絢爛な元禄文化が花開き、町人が力を持つようになった時代です。

華やかな元禄文化を伝える『江戸風俗絵巻』(菱川師宣 画)
元禄文化を代表する絵師・菱川師宣による『江戸風俗絵巻』(部分)。元禄時代はこのようにとっても華やか!
生活に余裕が生まれるようになれば、衣類などにぜいたくしたくなるのは当然のこと。所持品の増えた人々から箪笥が求められるようになるのもこれまた自然な流れ。

同時にこの頃、材木加工の技術の向上もあり、箪笥製造量も増加しました。

需要と供給ががっちりかみ合い、さらに流通機能の整備も進み、江戸時代中期には箪笥もかなり広く普及していたと考えられています。武家では箪笥といえば嫁入り道具の必需品にまでなりました。

ちなみに、江戸時代の箪笥の素材といえばがポピュラー。軽くて加工しやすくしかも木目が美しい、さらに湿気にも強い桐は箪笥の素材にうってつけなんです。桐箪笥なんて現代では高級品ですが、江戸時代には庶民でも桐箪笥を使っていたんですねぇ。もっとも、長屋の住人などは所持品自体あんまりないので、箪笥を持っている人は少なかったようです。

江戸時代の庶民がもつ桐箪笥(閂箪笥)(『絵本江戸紫』より)
画像右上、箪笥があります。これは左右に抽斗が分かれている「閂箪笥(かんぬきだんす)」というタイプ(『絵本江戸紫』より)
余談ですが、箪笥を数える際に「一棹(竿)」「二棹(竿)」といいますよね。棹(竿)は「さお」と読みます。なんでこんなユニークな数え方をするのかというと、その理由は、江戸時代の箪笥には両サイドに金具がついていて、これに長い棒(棹)を通して運ぶことができたから。前述した長持(ながもち)も棹を通して持ち運んでいましたが、箪笥も同じくなのです。

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投稿日: カテゴリ:カテゴリー 現代に繋がる, 生活

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