• 更新日:2017年8月27日
  • 公開日:2016年7月5日


五色の短冊に願い事を書くのも日本だけ!


お次は笹竹を彩る「飾り」のお話。
前述しましたように、七夕のルーツのある中国や、日本でも宮中行事として行われる際などには五色の糸をお供えし裁縫の上達を祈願しました。

七夕祭(『年中行事絵』より/川原慶賀 画)
こちらは長崎の年間行事を描いた川原慶賀の『年中行事絵』より七夕祭のようす。縁側に設置された祭壇にはお供え物や琴、五色の糸をかけた笹竹が飾られています
七夕が庶民に広まっていくなかで、「五色の糸」はより手軽な「五色の短冊」へと変化していきました。なお「五色」とはそのまま「5つの色」のことで、青(または緑)、赤、黄、白、黒(のち紫)の5色。これは古代中国の五行説にちなんだものですが、ややここしいので割愛します。

短冊を笹に飾り付ける江戸時代の子供たち(『雅遊五節句之内七夕』歌川国芳 画)
子どもたちがカラフルな短冊に願い事を書いて、せっせと笹に飾り付けています(『雅遊五節句之内七夕』歌川国芳 画)
願い事を短冊に書くのが始まったのも江戸時代ですが、これもかつて梶の葉に詩歌や願い事を書いていたことの変化形です。

短冊に願い事を書く江戸時代の女の子(『風流子宝十二月』「文月」菊川英山 画)
女の子が願い事を書いている短冊の下には梶の葉が見えます。古くからの風習の名残がこんなところに(『風流子宝十二月』「文月」菊川英山 画)
もともと織姫にあやかって機織や裁縫の上達を願うのが本流でしたが、時代とともに願い事も多様化し、諸芸の上達を願ったほか、織姫・彦星伝説にちなんで出会いを願ったりするようになったそう。今だと「おもちゃがほしい」とかなんでもありですが・・・・・・。

また、書道の上達を願って七夕の日に硯を洗う、という風習もあったそうです。

『子宝五節遊』「七夕」(鳥居清長 画
画像手前、子どもが硯をきれいにしています。道具を大切にすることは上達の第一歩(『子宝五節遊』「七夕」鳥居清長 画)

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ちゃんと意味があった! 見た目も楽しい七夕の飾り


笹竹に吊るす飾りは短冊だけではありません。ひょうたんやスイカ、大福帳、吹き流し・・・・・・バラエティ豊かな飾り物を子どもも大人も楽しく笹に吊るしました。飾りは家でつくることもありましたが、既成品を売り歩く物売りから買うことも多かったそうです。

七夕の飾り付けをする江戸時代の人々(『当世葉唄合』「七夕の図」三代歌川豊国 画)
大人も子どもも楽しく飾り付け(『当世葉唄合』「七夕の図」三代歌川豊国 画)
見て楽しい、飾って楽しい飾り物にはそれぞれちゃんと意味がありました。たとえば・・・・・・

吹き流し
織姫の織り糸を表したもの。魔除けの意味も
網(あみ)飾り
魚を捕る網を表したもので、大漁を祈願
紙衣(神衣)
「かみこ」と読む。裁縫上達と、着るものに困らないようにという願いを込めて
そろばん、大福帳
商売繁盛を祈願
筆、硯(すずり)
習字の上達を祈願
ひょうたん
無病息災を祈願
スイカ
豊作を祈願(とも)

また、今でも縁起物の代表格である”おめでたい”鯛も七夕飾りとしてポピュラーだったようです。ほかに、ホオズキもポピュラーな七夕飾りでしたが、これは江戸時代の七夕がお盆と密接な関係にあったことに関わりがあるのではないかと推測。

ちなみに、お盆の精霊棚にホオズキを飾る理由は、漢字で「鬼灯」と書くことでもわかるように祖先の霊を導く提灯に見立てているからなんだとか。

七夕のホオズキ飾りをつくる江戸時代の女の子(『十二ヶ月之内』「七月七夕」渓斎英泉 画)
女の子が夢中になってホオズキ飾りをつくっています(『十二ヶ月之内』「七月七夕」渓斎英泉 画)
江戸時代から今も変わらず受け継がれている飾り物もたくさんあります。今まで何気なく飾っていた飾り物にもちゃんと意味があったんですね。

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