七夕が庶民に広まったのは江戸時代になってから
時代が下り、江戸時代。七夕は、幕府の決めた重要な季節のお祝い日「五節句」のひとつとなり、盛大に祝われるようになります。
この絵は江戸時代前期の絵師・奥村政信による七夕祭の絵。
上部には織姫・彦星伝説が描かれており、その下には五色の糸がかけられた2本の笹竹、たくさんのお供え物があり、女性が琴を爪弾いています。笹に小袖が掛けられていますが、これも機織りや裁縫の上達を願って。
こちらは大奥での七夕のようすを描いたものです。庭に祭壇が置かれ、その上には短冊が見えます。上の絵と同じように、短冊が飾られた笹竹と笹竹をつなぐように五色の糸が結ばれています(画像左上)。また、糸の真ん中には梶の葉らしきものも。中央の女中はお供えものを持ってきたところのようです。大奥の七夕はさぞかし華やかだったことでしょうね。
江戸時代も初期は七夕も宮中や大名たちの行事でしたが、庶民の学校である「寺子屋」の増加とともに庶民も手習い(読み・書き・そろばん)をするようになると、庶民にも七夕が広まり、星に願いをかけるようになりました。
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笹に短冊を飾るのは日本だけ!
七夕といえば笹の葉に願い事を書いた短冊を飾りますが、このスタイルができたのは江戸時代のことです。ちなみに、七夕の行事は日本や中国だけでなく台湾、ベトナム、韓国などアジア諸国で広く行われているのですが、笹の葉に短冊を飾るのは日本だけなんだとか。
こちらの絵では、親子と思われる女性と子どもが物干し台に上がって笹竹を立てようとしています。ずいぶん風の強い日のようです。
江戸時代にはこのように物干し台に短冊を飾った笹竹を立てたそう。今だとベランダに飾るようなものでしょうか。ほかに、庭や軒先に立てることもありました。
七夕祭が庶民に広がると、江戸の町では空を覆わんばかりに笹の葉が揺れていたようです。こんな感じ。
壮観です。
北斎も七夕の江戸の空を描いています。
飾りや短冊のついた笹の葉が風になびいています。向こうには富士山も見え、なんともいえない平和な空気が流れています。
ちなみに、笹竹を物干し台や庭に立てるのは7月6日の夕方と決まっていたそうで、その前に、短冊に願い事を書いたり、飾り付けをしたりと下準備をしておきました。七夕が近くなると江戸の町には笹竹売りが登場し、笹竹を売り歩きました。
ところで、「そもそもなぜ笹?」かといいますと、一説に「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」という無病息災を祈る神事の際に設置される茅の輪(ちのわ)の両脇に立てられた笹竹にちなんでいる、とも、笹が古来、生命力あふれる神聖なものとして、神の宿る依代(よりしろ)と考えられていたからともいわれています。