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夜も更け、吉原唯一の出入り口である大門が閉じられます。このあとは隣のくぐり戸を利用しました。
夜見世は表向きこの時間で終了となっていましたが、実際にはあと2時間くらいは遊女たちが格子の内側に座っていました。
●午前0時頃(子の刻)●
さて、妓楼も本当に店じまいです。夜見世にいた遊女たちも退場します。この時間を「引け四ツ」といいました。
新規のお客はもう入れませんが、すでにいるお客の相手は続きました。外では火の番が「火の用心さっしゃいましょ~」と呼ばわりながら深夜の吉原を歩き回っています。

画像左上に描かれているのが火の番。片手に提灯、片手に金棒を持ちジャラジャラ鳴らしながら歩きました(『当世十二時之内寅の刻』歌川芳寅 画)
●午前2時頃(丑の刻)●
「大引け」の拍子木が鳴り響くと床入りの時間です。お客がついた遊女もつかなかった遊女も就寝時間となります。
お客は個室持ちの高級遊女が相手なら遊女の部屋で、大部屋の下級遊女が相手なら「廻し部屋」と呼ばれる大部屋で遊女が来るのを今か今かと待ちました。
ちなみに、この時間より早く遊女と同衾することもできました。それはお客次第。

お客の待つ寝床に向かう遊女(『浮世姿吉原大全 名代の座舗』渓斎英泉 画)
これはこれからお客の待つ寝床に向かう遊女。寝巻き姿が色っぽいですね。口にくわえた紙は事後処理用のもので、お客と同衾する遊女は必ず持参しました。
また、避妊のため薄い和紙を丸めて局部に詰めたそうです。効果のほどは……まぁ、なかったでしょうね。

花魁とお客との情交(渓斎英泉 画)
花魁とお客との情交場面を描いたものですが、花魁のすごい数の簪(かんざし)がお客に刺さりそうです。
実際は行為中には簪を外したんでしょうが、絵的にハデなのでこれは演出でしょう。なにせ高価なものですからね、折れたりしたらたいへんです。
遊女たちはいわゆる“床上手”になるよう若い頃から訓練を受けたそう。お客を悦ばせ貢がせなければなりませんから。
また、「感じるのは遊女の恥」として、自分が“感じない”ようにもしたんだとか。その理由については、行為のたびに感じていたら体がもたない、とも、絶頂すると妊娠すると信じられていたともいわれています。

『鶸茶曽我(ひわちゃそが)』3巻より(芝全交 作・北尾重政 画)
こちらは大部屋の遊女たち。屏風1枚で仕切られたスペースでお客の相手をしました。行為中の声や物音も当然ながら筒抜けですが、男性たちは隣に負けじとハッスルしたとか、しないとか。
そうこうしているうちにしだいに夜明けが近づき、別れの時間となります。

帰ろうとするお客に羽織を着せようとしている遊女(『青楼十二時 続』「卯ノ刻」喜多川歌麿 画)
「後朝(きぬぎぬ)の別れ」をし、仮眠をとったら、また遊女たちの1日の始まり。
吉原の外へは一歩も出られず、単調ながらハードな日々を過ごしていた遊女たち。正規の休みは正月と盆の2日のみといいますから、こんな生活を年季が明けるまで年中続けていました。こうして、遊女は借金、避妊、梅毒などが常につきまとう過酷な一生を送っていたのです。