質素どころじゃない農民の食事
お次は農民の食事を見てみましょう。江戸ではそこそこ貧乏な人でも白米を食べていたそうですが、農村では収穫した米のほとんどが年貢として徴収されてしまうため、白米だけを食べることなどできませんでした。(豪農などお金持ちの農民は別)
そんな農民の食事として中心となったのがこれ。
かて飯です。いわゆる混ぜご飯。少ないお米に稗(ひえ)などの雑穀や大根、芋がら(里芋の茎を干したもの)、サツマイモなどの野菜を入れたものです。ヘルシーといえばヘルシー。
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「かて飯」は米の節約レシピとして飢饉の際にも重宝されたので、レシピ本もありました。
これは「江戸時代の三大農学者」のひとり大蔵永常(ながつね)が著した『日用助食竈の賑ひ(にちようじょしょくかまどのにぎわい)』という本。
描かれているのは「さつまいも飯」の調理風景。ほかにも「おから飯」「里芋飯」など各種「かて飯」のレシピが紹介されています。
このなかで江戸時代後半の信濃国伊那郡(現在の長野県伊那市、飯田市など)の、とある村の冬の食事内容が記録されています。農民はどんなものを食べていたのかというと、
- 朝食
- 大麦を煎って粉にした香煎(こうせん)、蕎麦粉を固めて焼いた蕎麦もち
- 昼食
- 四分搗きの米に稗と大根と大根の葉を入れた「かて飯」
- 夕食
- 大根と粉団子の汁物
うーん、地味です。
お腹いっぱいになる自信ありません。これで肉体労働していたのだから、江戸時代の農民はたいへんです。
ちなみに、農村でも1日3食が基本でしたが、農作業が忙しくなる春などには午後3時頃に「小食」が加わり1日4食になりました。メニューは昼食と同じだったそうです。
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