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(『名所江戸百景』「する賀てふ」歌川広重 画)
江戸のメインストリート、日本橋界隈を描いた浮世絵です。広い通りに大勢の人が行き交い、江戸を代表する大店三井越後屋(今の三越)が店を構えています。ゴミがなく綺麗。江戸を訪れた外国人たちは町の清潔さにたいへん驚いたといいます。
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どんなものでも修理した!腕利きの修理職人たち
江戸時代の人々は、物が壊れたからといってすぐに捨てません。壊れた物は、さまざまなジャンルの職人が修理してくれました。渋すぎる修理職人を見てみましょう。
瀬戸物焼き接ぎの職人

(百科事典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』)
欠けたり割れてしまった陶磁器は任せとけ。接着剤には白玉粉(!)を使い、再び焼いてくっつければなんの問題もなし。江戸の食卓をばっちり支えた頼れる存在。

東京都新宿区で出土した江戸時代の瀬戸物小鉢。矢印の部分に焼き接ぎされた跡が見えます。なお、高級な陶器には接着剤に漆が使われました。新品を売る瀬戸物屋が困るほど流行ったそう。
鋳掛屋(いかけや)

(百科事典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』)
鋳物製品の修理・修繕を行う職人。一家に欠かせない家財道具であり貴重品だった鍋や釜。穴が空いた鍋を持ってこられても諦めずにリサイクルした腕は一級品。明治・大正時代になっても活躍した息の長さは驚異的。
雪駄直し(せったなおし)職人

(絵巻『熈代勝覧(きだいしょうらん)』)
雪駄や草履(ぞうり)などの履物の修理をする職人。「でえい、でえい」と大声で叫び回っていましたが、これは「手入れ」がなまったもの。元気のいい呼び声で町に活気をもたらすムードーメーカー。
下駄の修理職人

おなじ履物のひとつである下駄の修理をする職人。ただし、雪駄直しと下駄直しの職業を一緒にされちゃ困る。あれこれ手を出さず、誇りをもって下駄の歯の交換を行った。
提灯の張り替え職人

(百科事典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』)
提灯の紙が破れたら新しく張り替えてくれるのだが、さらに屋号なども書き入れてくれるマルチプレイヤー。もちろん達筆でないと務まらない。
羅宇屋(らおや)

(百科事典『守貞謾稿(もりさだまんこう)』)
羅宇とは煙管(きせる)竹管部分のこと。この羅宇に詰まったヤニを掃除したり新品と交換するなど、嗜好品すら使い捨てしないエコ社会の申し子。江戸では背負子(しょいこ)姿、上方では天秤棒で営業。
ほかにも、切れ味の悪くなった刃物を研ぐ「研ぎ屋」、壊れた錠前を修理する「錠前直し」、磨り減った石臼の目を立て直す「臼の目立て」、算盤(そろばん)の修理や交換を行う「算盤直し」などなど、あらゆるものを修理してくれる職人が江戸の町にあふれていました。
捨てる神あれば拾う神あり。不用品を再利用する回収業者たち
現代では「ゴミ」として捨てられてしまうような物も江戸の人々はひと手間加えて再利用しました。続いては再利用を支えたさまざまな職業をご紹介。
紙くず買い&紙くず拾い

(今様職人尽歌合)
使用済みの紙や古い帳面、また古着やくず鉄なども買い集め古紙問屋に売る「紙くず買い」。道端に落ちている紙くずを拾い集め古紙問屋に売る「紙くず拾い」。古紙再生という、エコの王道を突き進む強力コンビ。
回収された古紙は汚れ具合によって選別され、漉き返され再生紙として生まれ変わります。再生紙は安かったのでトイレットペーパー(落とし紙)として使われました。
古着屋

布が貴重だった江戸時代。古着屋は新品が買えない庶民にとって欠かせない存在。
江戸時代中期には3,000人を超える古着屋がいたとも。そのメッカは柳原堤(いまの秋葉原〜浅草橋あたりの神田川土手)。拡大してみると、古着屋が古着を売っています。

余談ですが、着物は徹底的に使い切られました。
着物、古着屋で売られる
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古着をさらに着まくる。
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ボロボロの古着は子ども用着物に仕立て直す。端切れは「端切れ屋」に売る
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さすがに駄目になった着物はオシメや雑巾に再生
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使いすぎたオシメや雑巾は燃やして灰に
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燃やした灰も再利用(!)
灰買い業者

江戸時代における灰は農業用肥料/洗剤/染料/アク抜き/傷薬として活躍したオールラウンダー。灰買い業者は長屋や商家などを回ってとにかく灰を買いまくった。そのスタミナはまさに底なし。
下肥(しもごえ)買い業者

(『諸国道中金の草鞋』より)
江戸時代のトイレ事情でも紹介したように、排泄物は良質な肥料であり貴重な資源です。そのため、江戸近郊の農民などは近隣の人糞を買い取ったり、野菜と交換したりしました。
絵の右が、排泄物と大根を交換する行商人。ひどい臭いにもめげずに無限リサイクル・ループを描く脅威の合理主義っぷりは、エコ職人たちからも一目置かれた。
排泄物を肥料として野菜が育つ
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育った野菜と交換で排泄物を回収
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回収した排泄物を肥料として野菜が育つ
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育った野菜と(以下、略)
これ、ムダ一切なしの美しさ。
古傘買い業者

(『守貞謾稿』より)
古くなった傘を下取りし、紙の張り替えや骨の削り直しをして新品同然に再生させる腕前は特筆に価する。
傘は江戸時代でも主要な雨具でした。。傘張りの仕事は時代劇ドラマなどでは浪人の内職の定番。ちなみに、はがした傘の紙も防水性があったため魚や味噌を包む包装紙などに、折れた骨は燃料として再利用するという徹底っぷり。
蝋燭(ろうそく)の流れ買い業者

(『岡場所錦絵 辰巳八景之内』香蝶楼国貞)
蝋燭を燃やした時に溶けた蝋を買い集め、それを新しい蝋燭に鮮やかに生まれ変わらせるいぶし銀の再生屋。
絵は遊郭の一室。蝋燭の灯が赤々と燃えています。蝋燭は高級品だったため、蝋燭を使うのは武家や大店、料亭、遊郭など一部の人々で、庶民は魚油(ぎょゆ)を使うか、暗くなったら寝ました。
その他の再生業者たちは、
すき髪買い
なんと女性が髪をといた時に出る抜けた髪の毛もリサイクル!抜けた髪を買い集め、“かもじ”(足し毛、入れ毛、添え毛)にしました。
献残屋(けんざんや)
武家向けのリサイクル業者。不要となった献上品や贈答品を引き取りラッピングを変えるなどして再生しました。
箒(ほうき)買い
新品の箒を売ったほか、古くなった箒を下取り。古くなったシュロの箒は解いて縄にしたり、タワシに再生。
ほかにも、道端に落ちている馬糞を拾って農家に売る「馬糞拾い」、建材や廃材の木っ端を集め燃料として売る「木っ端売り」、木っ端を薄く削って硫黄を塗り発火燃料材(マッチのようなもの)として売る「付け木売り」などがいました。
江戸時代に誕生したゴミ埋め立て地
リサイクル職人・回収業者が揃っていたエコ都市・江戸でも「ゴミ問題」には悩まされました。江戸時代初期、川や堀、空き地へのポイ捨ては当たり前でした。
そこで幕府は1655年(明暦元年)に深川永代浦(現在の東京都江東区にある富岡八幡宮あたり)をゴミ処分場に定め、幕府の許可を受けた処理業者がゴミを収集し、船でゴミを運びました。
この「収集→運搬→処分」は現代のゴミ処理システムの思想そのまま。永代浦はのち埋め立てられ市街地に造成され、ゴミ処分場は越中島(現・江東区)に移動しました。
限りある資源を徹底的に利用つくした江戸時代の人々の生活には見習うところがあります。
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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?
1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。
(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。
(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。
江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?
パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。
「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。