方向性を大きく変え独自の道を歩みだした「宗理期」(36〜46歳頃)
師・春章の死もあり勝川派を離れた北斎は、琳派の「俵屋宗理」へ改名します。琳派といえば俵屋宗達や本阿弥光悦らによって生まれた装飾性の高い画風で知られる一門。
それまで手がけていた浮世絵版画はなりを潜め、宗理期の北斎は肉筆画や非売品の特製版画である摺物(すりもの)などに精力を注ぎました。
また、「宗理風」と評される美人像を生み出したのもこの頃。楚々としたスタイルで瓜実顔の清楚な雰囲気をまとった美人は評判を呼びました。ほかにも西洋の画法を意識した作品を発表するなど北斎は独自の道を求め邁進しました。
では、宗理期の作品をいくつか。
「宗理になりました」のお知らせです
亀が天を見上げるこちらの作品は、「宗理」に改名したことを知人に知らせるために描いたもの。
北斎の大首絵美人画はこの2点だけ!
「大首絵」というのは人物の上半身をクローズアップして描いた浮世絵作品のことで、喜多川歌麿や東洲斎写楽らの作品が有名です。さまざまな題材をあらゆる手法で描いた北斎ですが、大首絵は意外なことにこの2点のみ。遠眼鏡をのぞき込む娘さんとそんな娘を見やる上品そうなお母さん(?)。背景は雲母摺りというキラキラした豪勢なものです。
先ほどの大首絵と同じシリーズのなかの1枚。「七癖」のタイトルから察するに本当は7枚セットであったと思われるのですが、残念ながらこの2枚しか確認されていません。こちらは、口紅をお直しする女性と口にほおずきをくわえた洗い髪の女性。女性の艶やかな黒髪の美しさは息を飲むほど。
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北斎流銅版画
西洋の銅版画のエッセンスを北斎流に取り入れた風景画。独特な雰囲気が漂います。日本でありながら日本じゃないみたいです。額縁っぽい枠のデザインもオシャレ。
描かれているのは上野の不忍池。まるで巨大な木か不思議な生き物のようにも見える雲が印象的。
このシリーズは袋も北斎が手がけているのですが、これがまた洒落ています。
顕微鏡をデザインしたもので異国情緒を感じさせます。ちなみにこのシリーズは小さめなポストカードくらいの大きさです。
懐かしさを覚える穏やかな風景
子どもが乗る馬を引く農夫が農作業を終え帰路につくところ。仕事を終えた安堵感と日暮れの穏やかな空気が画面全体に流れています。画像ではわからないのですが、川の流れが「空摺(からずり)」というエンボス加工のようなもので表現されており、そのゆったりとした線がより一層見る者の心をほっこりさせます。
計算された人の並び
色とりどりの着物に身を包んだ男女が盆踊りを踊ってます。横を向く者、前を向く者、後ろ向きの者など一見バラバラな顔の向きや手の動きが見事にひとつにまとまっています。北斎は晩年に至るまでこの縦長を利用した構図を好んで使っています。
余白の妙
宗理期の美人画を代表する作品。夕暮れ時、柳の下で客を待つ夜鷹(最下級の私娼)を描いたものですが、縦長の画面を使った構図がすばらしい。
迷いのない大胆な筆づかいで描かれた夜鷹は顔が見えないだけに想像力をかきたてる美しさを放ち、上から垂れ下がる柳の葉、薄っすらと見える細い月、夕闇に飛ぶコウモリは夜鷹の寂しさ表すかのようです。
大評判となった緻密な描写
北斎は当時大ブームだった狂歌を集めた狂歌本の挿絵も手がけました。
なかでも、江戸の名所に狂歌を添えた『東遊(あずまあそび)』は、まるで細密ペン画のように緻密に描かれた北斎の挿絵(モノクロ)が大評判を呼びました。
そして狂歌を省いて北斎の挿絵を多色刷りにしたこの『画本東都遊』が出版されたのです。建物だけでなくひとりひとりが生き生きと描かれており、当時の人も時間を忘れて見入ったのではないでしょうか。
当時の色が鮮やかに残る
『新・北斎展』の目玉展示のひとつがこちらの摺物(すりもの)。津和野藩に伝わり大切に保存されてきたため、色あせることなく当時の発色をそのままに残しており、ものすごく鮮やか。全118枚がすべて公開されるのは今回が初だそう。4期にわけての公開ですので、せっかくならコンプリートしたい。
そしていよいよ一般に一番よく知られる「葛飾北斎」と名乗り、北斎はどの流派にも属さない己の道を歩んでいくのです。
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