• 更新日:2019年3月24日
  • 公開日:2019年3月3日


世界的傑作を続々生み出した「為一(いいつ)期」(61〜74歳頃)


61歳となった北斎は「為一」と画号を改め、70歳を過ぎるとそれまで遠ざかっていた浮世絵の制作に没頭します。

北斎の代表作である『富嶽三十六景』をはじめ『諸国瀧廻り』『諸国名橋奇覧』などはわずか数年の間に出されたものです。ほかにも『百物語』といった幽霊画、名所絵、武者絵、古典画、花鳥画など関心のおもむくままさまざまなものをダイナミックかつ色鮮やかに描きました。

では、まずこれを見ずに北斎は語れない『富嶽三十六景』よりいくつか。

世界を魅了する「赤富士」

『富嶽三十六景』「凱風快晴」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
『富嶽三十六景』「凱風快晴」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
「凱風」とは夏に吹くやわらかな南風のこと。イワシ雲がたなびく青空と、富士山の赤、裾野に広がる樹海の緑のコントラストが目にも鮮やかです。

天と地を表現した「黒富士」

『富嶽三十六景』「山下白雨」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
『富嶽三十六景』「山下白雨」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
先ほどが「赤富士」ならばこちらの通称は「黒富士」。

山頂付近の青空とは対照的に富士山の裾野は黒雲に包まれ、稲光が走り、雷鳴が聞こえてきそうです。『新・北斎展』の監修者である永井氏が北斎研究者になったきっかけがこちらの作品との出会いだそう。

ちなみに、「神奈川沖浪裏」とこの「赤富士」「黒富士」の3作品は、“『富嶽三十六景』の三役”として特に世界的に知られた北斎作品です。

北斎らしい構図の妙

『富嶽三十六景』「東都浅草本願寺」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
『富嶽三十六景』「東都浅草本願寺」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
晴れ渡ったお正月の空をにぎやかにする富士山、たこ、火の見櫓、浅草本願寺の巨大な屋根。屋根の三角と富士山の三角、大小異なる三角によって画面にリズムを生み出しています。

ジブリのような水の表現

『富嶽三十六景』「隠田(おんでん)の水車」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
『富嶽三十六景』「隠田(おんでん)の水車」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
のどかな風景ですが、これは現在の原宿あたり。原宿から富士山が見えていたなんて、とても信じられません。

静かな佇まいの富士山とは反対に水車から流れ出る水の生き生きとした表情に注目。まるで生きているかのような水の表現はジブリ作品『ポニョ』の世界を彷彿とさせます。

スポンサーリンク


まるで舞台を眺めているような

『富嶽三十六景』「五百らかん寺さざゐどう」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
『富嶽三十六景』「五百らかん寺さざゐどう」(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
主役であるところの富士山は遠くに小さく見えます。その富士山をひと目見ようとたくさんの人が高楼に集まっているところです。

芸妓に武士、町人に子どもまでいろんな人がいますが、みんな揃って富士山のほうを向いているので、ついこちらも富士山を見てしまいます。

さて、富士山をこれまでにない視点と構図で描き大好評を博した『富嶽三十六景』ですが、北斎の“富士山描きたい熱”はおさまりません。『富嶽三十六景』シリーズ刊行が終わったその年(1834年)にモノクロで富士山を描いた『富嶽百景』(全3編)を刊行します。これがまたどれも斬新なので、いくつか紹介します。

泡のような雲から現れたのは……


『富嶽百景』「登龍の不二」(葛飾北斎 画/1834〜35年)

『富嶽百景』「登龍の不二」(葛飾北斎 画/1834〜35年)
富士山の裾野から沸き立つ雲とともに現れたのは神々しい龍。霊峰・富士にふさわしい幻想的な一枚ですが、丸が連なる不思議な雲はなんだか泡のようにも見えちょっぴりユーモラスも感じます。

波が崩れて千鳥となる


『富嶽百景』「海上の不二」(葛飾北斎 画/1834〜35年)

『富嶽百景』「海上の不二」(葛飾北斎 画/1834〜35年)
主役であるはずの富士山を文字通り食ってしまわんばかりの大波。

白く泡だつ荒々しい波頭の表現が秀逸です。空を飛ぶ千鳥の群れは波頭と相まって、どこが波でどれが千鳥なのか……見る者を翻弄します。

続いても北斎の代表的風景画シリーズ『諸国瀧廻り(しょこくたきめぐり)』。『富嶽三十六景』出版の直後に刊行がスタートしたシリーズで、北斎はとにかく「捉えがたい水をどう表現するか」にこだわりました

かつてない水の表現

『諸国瀧廻り』「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」(葛飾北斎 画/1833年頃)
『諸国瀧廻り』「木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧」(葛飾北斎 画/1833年頃)
描かれているのは現在の岐阜県郡上市にある名瀑。瀧を眺めながらのんびりピクニックする人々ののどかさとは対照的に、ごうごうと流れ落ちる瀧の激しさを北斎は独特な表現で描きました。

特に瀧へ流れ落ちる前の水の表現はスゴイとしか言いようがありません。抽象画の世界です。落ちる直前と落ちていく水をまるで別物のように描くという北斎の発想力に唖然とします。

妖艶ともグロテスクとも表現しがたい水の流れ

『諸国瀧廻り』「下野黒髪山きりふりの滝」(葛飾北斎 画/1833年頃)
『諸国瀧廻り』「下野黒髪山きりふりの滝」(葛飾北斎 画/1833年頃)
日光の山奥に実際にある「霧降の滝」を描いたものですが、岩に当たって流れを変化させる水を北斎はひとつのデザインのように描いています。

そのようすはまるで血管のようにも妖怪の手足のようにも見え、見る者を不思議な感覚に陥れます。

北斎の風景画シリーズは止まりません。続いて出したのは橋をテーマにした『諸国名橋奇覧(しょこくめいきょうきらん)』(1834年頃)です。

もはやツナ渡り


『諸国名橋奇覧』「飛越の境つりはし」(葛飾北斎 画/1834年頃)

『諸国名橋奇覧』「飛越の境つりはし」(葛飾北斎 画/1834年頃)
谷底は雲に隠れどれほどの高さなのか想像もつきません。そんな高所にあるいかにも頼りなげなつり橋を2人連れが歩いています。

見ている方はハラハラしますが、歩いている2人の足取りはのんびりしたもの。行く先の崖の上には鹿の姿も見え、どこか桃源郷のような空気が漂います。

北斎の頭のなかにしかない橋


『諸国名橋奇覧』「三河の八ツ橋の古図」(葛飾北斎 画/1834年頃)

『諸国名橋奇覧』「三河の八ツ橋の古図」(葛飾北斎 画/1834年頃)
『諸国名橋奇覧』は諸国にある有名な橋を描いたものですが、じつはこの橋は江戸時代にはすでに実在していなかったもの。

『伊勢物語』に杜若の名所として登場する八ツ橋を北斎が想像して描いたのです。風景画としては相当な変化球。不思議な角度でジグザグする橋は見る人を幻想世界にいざなうようです。

こうした有名シリーズ以外にもこの時期、北斎はさまざまな風景画を描いています。

沖縄に雪!?


『琉球八景』「龍洞松濤」(葛飾北斎 画/1832年頃)

『琉球八景』「龍洞松濤」(葛飾北斎 画/1832年頃)
琉球の風景を描いた8枚セットのうちのひとつ。なんと雪景色の琉球です。江戸時代は現代より寒かったので沖縄にも雪が降ったのか……というとそういうわけではありません。

これは琉球の見聞録にある挿絵をもとに北斎が想像をめぐらせ描いたもの。当時は琉球ブームだったそうです。

北斎の風景画が画期的だったのは、それまでの具体的に行くことができる名所をメインに描いていた風景画ジャンルにおいて、全然有名じゃない場所や実在しない場所をピックアップしたこと。

さらに北斎が描こうとしたのが場所そのものではなく、『富嶽三十六景』においては季節や天候によって変化する富士山のさまざまな表情を、『諸国瀧廻り』においては水そのものを描き出そうとしたことにあります。

北斎は従来の概念にとらわれない、新しい感覚を持った絵師だったんですね。為一期の花鳥画がまたものすごくオシャレ。

目に見えない風を描く


『牡丹に蝶』(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)

『牡丹に蝶』(葛飾北斎 画/1830〜34年頃)
風にあおられ大きくたわむ可憐な牡丹と、その花びらに止まろうと風に抗う蝶の一瞬を捉えた傑作。

匂い立つような牡丹の華やかさ、懸命に羽ばたく蝶の生命力あふれる姿に惹きつけられます。それにしてもこの大胆さとモダンさは現代のグラフィックアートのようです。

リビングに飾りたい


『黄鳥 長春(こうちょう ばら)』(葛飾北斎 画/1834年頃)

『黄鳥 長春(こうちょう ばら)』(葛飾北斎 画/1834年頃)
「黄鳥」とは黄色の体色をしたコウライウグイスという小鳥だそう。愛らしい小鳥がバラに止まっています。

バラというのがすでにおしゃれですが、空の水色、小鳥の黄色、バラのピンクと緑の配色がものすごくオシャレ。クッキーなんかの包装紙にそのまま使えそうですし、リビングにこれが飾ってあったら間違いなく生活ランクがワンアップしそうです。

小鳥と花の組み合わせでこちらもすごくかわいらしかった。

じゃれあうなかよしスズメたち


『小禽に朝顔』(葛飾北斎 画/1830〜31年頃)

『小禽に朝顔』(葛飾北斎 画/1830〜31年頃)
使われているのは藍色だけなのに全然地味じゃない。むしろスタイリッシュさすら感じます。

それにしてももつれあうように飛ぶスズメたちがおもしろいですね。パッと見、何羽いるのかよくわからない不思議な構図になっています。

幽霊画の傑作シリーズ『百物語』もこの頃の作品。きっと絶対に一度は目にしたことがあるはず。

発想が天才のそれ

『百物語』「さらやしき」(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)
『百物語』「さらやしき」(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)
「一枚、二枚、三枚……」と悲しげにお皿の枚数を数えることで有名なお菊幽霊も北斎の手にかかるとこんな風に。井戸から伸びる首をお皿にするという発想の妙。おそろしさよりカッコよさを感じます。

狂気の笑み


『百物語』「笑ひはんにゃ』(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)

『百物語』「笑ひはんにゃ』(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)
ツノを生やした鬼女のような妖怪「笑般若(わらいはんにゃ)」が、これでもかと顔を歪ませ狂気的な笑みを浮かべています。

長い爪の指は、手にした幼子の生首を指しているようにも、血まみれの口を指しているようにも見えとにかく不気味。円窓からこちらをのぞいているような構図が恐ろしさに拍車をかけています。

このほか提灯とお岩さんが合体した「お岩さん」や蚊帳(かや)からドクロがのぞき込む「こはだ小平二」といった恐怖とユーモアに満ちた北斎にしか描けない独創的な幽霊画で知られる『百物語』シリーズ。

タイトルの通り100図出すつもりだったのかはわかりませんが、現存するのは5点しかないのが本当に残念です。

うって変わって勇壮な武者絵もすごい。

画面いっぱいの大迫力


『鎌倉の権五郎景政 鳥の海弥三郎保則』(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)

『鎌倉の権五郎景政 鳥の海弥三郎保則』(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)
平安時代の若武者・鎌倉の権五郎が敵である弥三郎と取っ組み合いを演じているシーン。手足の絡みかた、弓を持つ手がいちいちかっこいい。鮮やかな鎧がひとつのデザインのように見えます。

足の指先までみなぎるパワー


『楠多門丸正重 八尾の別当常久』(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)

『楠多門丸正重 八尾の別当常久』(葛飾北斎 画/1831〜32年頃)
2人の男が戦っています。若いイケメンは顔に似合わず力持ちで、石づくりの手水鉢(ちょうずばち)を持ち上げ相手を威嚇。対するヒゲ武者も刀を抜かんとしており、一触即発の緊迫状態。ヒゲ武者の足元を見ると指の一本一本にまで力がこもっているのを感じます。

また近年発見されたこんな作品も。

個性がぶつかり合う六歌仙


『六歌仙図』(葛飾北斎 画/1820〜30年頃)

『六歌仙図』(葛飾北斎 画/1820〜30年頃)
平安時代の有名歌人「六歌仙」を描いたもの。

縦長の紙に一列で配する構図のおもしろさ、美男子で有名な在原業平と美女・小野小町を一番目立つ中央に配する演出がニクい。『新・北斎展』が国内では初展示となるそうなのでぜひ肉眼で!

個人的にものすごく感動したのがこちら。

北斎の妙技に驚愕


『工芸職人用下絵集』(葛飾北斎 画/1829〜31年頃)



『工芸職人用下絵集』その2(葛飾北斎 画/1829〜31年頃)

『工芸職人用下絵集』(葛飾北斎 画/1829〜31年頃)
根付や煙草入れの前金具用のデザインとして北斎が描いたもの。とにかく小さい。小さいものは縦2センチ×横3センチくらい。

にもかかわらず描き込みがものすごい。めちゃくちゃ繊細かつ精密に小さな世界がデザインされており、北斎の画力の高さに唸るしかない。この驚きと感動は実際に見ないと伝わらないので、ぜひ肉眼で!!

老いてますます冴える北斎の筆。いよいよ最晩年期に入ります。

江戸ブログ 関連記事

江戸ブログ 最新記事

あわせて読みたい 戦国・幕末記事