長寿を願い「神妙」の域を目指した「画狂老人卍期」(75〜90歳)
75歳を超えた北斎は独自の画境を追求し、数々の傑作肉筆画を残しました。それでもなお北斎は満足することなく絵の道を邁進し続けます。
北斎が最後に使った画号は「画狂老人卍」。最晩年の北斎が画題としたのは動植物や宗教画など。版画ではなく肉筆画がメインとなり、80歳を超えてからは1点1点に年齢を記しました。
最期の時を見据え自分の命を刻み込むように描かれた作品はどれも気迫に満ちています。
最晩年の北斎が挑んだ未完の大作シリーズ
百人一首に収められている「わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人(あま)の釣舟」(小野篁)の和歌を題材にした浮世絵ですが、北斎は男性の「海人」を女性の「海女」に変えて描きました。波にもまれる海女たちの表現が非常に独特でおもしろい。
この『百人一首うばがゑとき』は最晩年の北斎が挑んだ最大のシリーズもので、「百人一首を乳母が絵を見せながら子どもにわかりやすく説明する」というテーマで全100図の予定だったそう。
しかし実際に完成したのは27点。どうやら企画が中止になったそうなのですが、北斎は非常にやる気があったようで、60点以上もの下絵が残されているのだとか。北斎翁、無念だったでしょうね。
さて、ここからは傑作肉筆画を紹介していきましょう。
放屁をいかに描くか
おじさんがオナラをしているだけなのに見とれてしまう不思議。太く大胆に描かれた着物とは対照的におじさんの表情は繊細に描かれています。
ちょっとはにかんだ感じがかわいらしい。そして、オナラの表現がすごい。オナラを描くのではなく、その周りの空気と、放屁砲によって揺れる蝋燭の火でオナラを捉えようとしています。
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傑作ばかりの肉筆画集
とことんリアルな塩鮭とどこかお伽話のような雰囲気のねずみのミスマッチが生む魅力。
美しい鳴き声をあげ空を行くほととぎす。その上にかかる淡いパステルカラーの虹がファンタジック。老いても北斎の感覚はとても瑞々しい。
「よっこいしょ」と言いそうな蛙がかわいらしい。
竹に絡みつく蛇のぬるりとした描写はどこかエロティック。蛇の視線の先にいる小鳥のあどけなさに、小鳥の未来を心配せずにはいられません。
最大級の北斎作品
西新井大師に伝わる北斎作品としては最大級のもの。その高さは153㎝、幅240㎝にもなります。
目の前で見るとあまりの迫力に声を失います。描かれているのは病魔(鬼)を退治するため一心に祈る弘法大師。手に浮かび上がった血管に大師の懸命さを感じます。
大師の後ろでは鬼に怯え犬が吠え立てています。この作品は、もともと西新井大師の扁額だったそうで、暗い本堂の高所に掲げた際にどのように見えるか計算され尽くして描かれているのだとか。
細く輝く月は、本堂の暗闇のなかで本物の月のように光って見えたのかもしれません。
ゴッホじゃなくて北斎のヒマワリ
見ているとなんとも明るい気分になるような作品です。こちらは『新・北斎展』の目玉のひとつ。
北斎のヒマワリなんて初めて見ました。88歳のときの作品だそうですが、衰えを感じるどころかとても生命力を感じます。
最後は壮大なこちら。
天と地
北斎90歳の作品。この2つの作品は2005年の浮世絵調査の際に本展の監修者である永井氏によって2つでひとつの作品であることがわかったそう。
よく見るとたしかに表装も同じ。描かれているのは、降りしきる雨のなか天に向かって咆哮する虎と暗黒から姿を現した龍。並べてみると虎と龍はにらみ合っているのがわかります。90歳の北斎は、この作品で天と地の壮大なドラマを描き出そうとしたそう。恐ろしい老人です。
嘉永2年(1849年)4月18日の朝、北斎は数え年90でこの世を去ります。娘のお栄や弟子たちが見守るなか、北斎が最後につぶやいた言葉は次のようなものでした。
「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」
(もうあと5年長生きできたら、本当の画工になることができたものを)
『新・北斎展』では、北斎が亡くなった直後に、お栄が弟子にあてて書いた死亡通知書も展示されています。お栄はどのような気持ちでそれを認めたのでしょうね。
とにかく北斎を知らない方も北斎が好きな方も満足すること間違いないので、『新・北斎展』をはじめとした展覧会に足を運んでみることを熱烈にオススメします!やはり本物はすごいんです。
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