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大泥棒が“義賊”になったのはなぜか?
大泥棒・鼠小僧といえば、「悪い大名や商人の屋敷から大金を盗み、その金を貧しいものに施した義賊」という伝説が有名ですが、どうやら次のような事柄が結びついて想像力豊かな人が「鼠小僧は義賊説」を言い出したようです。
- 庶民は狙わず、ターゲットは大名屋敷のみ
- 人を殺していない
- 盗んだ金は手元に残っていないのに、傍目にそれほどハデな生活をしていない/li>
- 集団ではなくたったひとりで権力階級である武士の家に盗みに入った/li>
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結果、「いつも偉そうな武士にひとりで立ち向かった鼠小僧かっこいい」「かっこいい鼠小僧のことだから盗んだお金も貧乏人に配ったにちがいない!ますますかっこいい」となったようです。特に、自分たち庶民を狙わなかった、というところが高ポイント。
さらに歌舞伎や講談などのフィクションで脚色が加わり、義賊・鼠小僧のイメージが完全にできあがったというわけです。
ですが、実際のところ大名屋敷しかターゲットにしなかったのは、広大な屋敷は忍び込んでしまえば警備は分散する分案外手薄、そもそも幕府の手前もありあまり厳重警備はできない、万一被害が発覚してもプライドの高い大名はメンツと体面を守るため被害を大っぴらにしにくい……などといった理由によるといわれています。

幕末に撮影された江戸の町。大きな屋根は武家屋敷。壮大さが写真からもわかる
とっても身軽だったようですし、集団より単独犯のほうがやりやすかったんでしょうね。
お金が手元に残っていなかった理由は前述通り。貧乏人に施すどころか自分のためにパーッと使いまくったからないわけで、現実というのは夢がないといえば夢がないですねぇ。
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今やパワースポットとなった鼠小僧の墓
さてさて、いずれにしても当時から人気者だった鼠小僧。その墓は墨田区両国にある回向院(えこういん)にあります。

画像引用元:wikipedia
普通、獄門にかけられた罪人は埋葬も弔いも許されなかったわけで墓なんてもってのほかなんですが、有名人で人気者の鼠小僧をしのんだ誰かが建てたのでしょうか。
現在、鼠小僧のお墓はちょっとしたパワースポットになっており参拝客で賑わっています。
いわく
「大泥棒・鼠小僧の墓のかけらを持っているとギャンブル運がUPする」
いわく
「するりと大名屋敷に盗みに入った鼠小僧のように、するりと志望校に入れる」
そんなご利益を求め、参拝客がガリガリとお墓を削るので、見かねた回向院がご丁寧に”削る用の墓石”を墓の前に用意してくれています。みなさま、削る際はくれぐれもこちらをご利用ください。
それにしてもまさか自分の墓がこんなことになっているなんて、鼠小僧も草葉の陰でビックリしていることでしょうね。