• 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年8月8日


第2ラウンド開始! そして終焉へ


しばらく鳴りを潜めていた鼠小僧ですが、ほとぼりも冷めた頃合いを狙ってこっそり江戸へ舞い戻りました。

そして、前回よりさらに盗みに盗んで盗みまくりました。

やはり武家屋敷だけをターゲットに7年で71カ所、90回もの盗みを働きました。これだけハデに盗んで捕まらないとか、鼠小僧がすごいのか捕まえる側の問題なのか……。

鼠小僧をモチーフにした歌舞伎の登場人物(『五十三次ノ内 大津 清水の冠者 尾上菊五郎』歌川国貞 画)
鼠小僧をモチーフにした歌舞伎の登場人物(『五十三次ノ内 大津 清水の冠者 尾上菊五郎』歌川国貞 画)

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こうして江戸の夜を天魔のごとく暗躍した鼠小僧ですが、ついに年貢の納めどきが訪れます。1832年6月(天保3年5月)、日本橋浜町にある上野国小幡藩の江戸屋敷に盗みに入ったところをまたしても現行犯逮捕されたのでした。

鼠小僧(三代歌川豊国 画)
三代歌川豊国 画。画像引用元:東京都立図書館
「もはやこれまでか・・・・・・!」

お縄となった鼠小僧は、前回のような大嘘はもはや通用しないと観念したのか、あっさりとこれまでの犯行を自白しました。それによると――

10年間のうちに荒らした武家屋敷は95カ所、盗んだ回数は839回

1年平均で80回以上、週2回ペースくらいで盗みを働いたようです。これはスゴイ。

で、いくら盗んだのかというと、これがどうもハッキリしない。というのも、盗んだ金は全部、ギャンブルや女、ぜいたく三昧に使い果たしてしまい、残っていなかったんだとか。

一説に3,000両(約2億4千万円)とも1万両以上(約8億円以上)ともいわれていますが、どちらにしてもとてつもない金額。

「10両盗んだら死罪」だった江戸時代、間違いなくそれ以上に盗んだ鼠小僧には問答無用で死罪が言い渡されました。

しかもただの死罪ではなく「市中引き回しのうえ獄門」という凶悪犯罪者に適応される非常に重い判決。

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鼠小僧は流血沙汰は起こさなかったようなのですが、こんなに重い判決をくだされた裏には、盗みに入られメンツを潰された大名だちの鼠小僧への恨みがあったとか。いわば、腹いせですね。

市中引き回し

これが市中引き回し。死刑囚は馬に乗せられ処刑場まで晒し者にされながら連行されるのです。

獄門というのは斬首刑のことで、はねられた首は台に載せられ3日間見せしめのため晒されました。現代では考えられない厳しい刑罰ですね……オソロシイ。写真が残されているのですが、残酷なので割愛。

鼠小僧は当時からかなり有名人だったようで、「おい、あの鼠小僧が連行されるらしいぜ」「マジで!?見に行こう、見に行こう」「俺も行く~」とばかりに、これから斬首される鼠小僧を一目見ようと市中引き回しの際には見物客が殺到したそう

ちなみに、当時の江戸っ子には奇妙な感情があり、「せっかく市中引き回しされるというので見に行った有名犯罪者の実物がショボいと、なぜだろう、なんだか頭来る」らしかったんですね。

こうした市民感情をふまえ、幕府としても有名犯罪者の場合にはそれなりの格好をさせてあげ最期の花道を飾らせるという粋な神対応(?)をしたそうです。

鼠小僧は幕府から神対応された代表格で、きれいな着物に身を包み、なんと薄化粧して口紅までさしていたとか。

『俳優白浪当達者 鼠小僧治郎吉 市川九蔵』(歌川国周 画)
『俳優白浪当達者 鼠小僧治郎吉 市川九蔵』(歌川国周 画)
上の絵は歌舞伎役者が演じる鼠小僧なので超絶イケメンですが、本物の鼠小僧は、背も5尺(約150cm)くらい、丸顔にうすあばた、髪も眉も薄くて目が小さい、とお世辞にもイケメンとは言いがたかったようです。

でも、鼠小僧はモテモテだったみたいで、妻も愛人もたくさんいたんだとか。

ちなみに、江戸時代、重罪の場合には家族にも刑が及んだのですが、鼠小僧は捕まる直前に彼女たちに離縁状を渡し、累が及ばないようにしたといわれます。ちょっと見直したよ、鼠小僧

そんな鼠小僧も小塚原処刑場(鈴ヶ森刑場とも)で36年の人生に終わりを告げました。

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カテゴリ:人物

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