何度も禁止令が出された屋台の蕎麦屋


「さて蕎麦を食べようかな」と思った場合、今なら家で食べるかお店で食べるかの選択になりますが、江戸時代にも2つの選択肢がありました。

1.屋台
2.店


まず、屋台から見ていきましょう。蕎麦屋の屋台は「担い屋台」といって、蕎麦売りが両端に道具を入れる箱が付いた天秤棒をひとりで担いで売り歩くものでした。

江戸時代の蕎麦屋の屋台(『江戸砂子々供遊』「不忍弁天」歌川芳幾)
(『江戸砂子々供遊』「不忍弁天」落合芳幾 画)
画面右に見えるのが蕎麦屋の屋台の一部。反対側にも同じような道具を入れる箱が付いており、中央の棒を担いで売り歩きます。

上には雨よけのため屋根が付いています。箱のなかにたくさんの皿や水の入った桶が見えますね。相当な重量だったんではないでしょうか。

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蕎麦屋の屋台はほとんどが夜間営業のみのいわゆる「夜鷹そば」「夜鳴きそば」と呼ばれる夜蕎麦売りでした。これは夜9時頃から明け方までの夜間営業の屋台蕎麦屋で、メニューは「かけ蕎麦」のみ。あまり清潔とはいえなかったようです。

ちなみに、夜鷹そばが登場し始めた頃の「かけ蕎麦」といえば冷たい汁をかけた蕎麦のことでしたが、その後、温かい汁をかけたものが「かけ蕎麦」と呼ばれるようになり、冷たい蕎麦は「もり蕎麦」と呼ばれるようになったといわれています。

夜鷹そばは、ほかの飲食店がすでに閉店してしまった夜間に営業している点がヒットし大繁盛、江戸における蕎麦の普及に一役買いました。

また、営業期間が秋初春に限定されていたため季節の風物詩として浮世絵などにも頻繁に描かれるなど庶民に愛されました。

江戸時代の夜鷹そば(『神無月 はつ雪のそうか』三代歌川豊国)
(『神無月 はつ雪のそうか』三代歌川豊国 画)
「夜鷹そば」の名の由来は、夜の街角に立ち色を売る「夜鷹」と呼ばれた最下級の遊女たちが常連だったから、という説も。雪が降りしきるなか、夜鷹たちが温かい蕎麦をすすり、つかの間の暖をとっています。

その後、夜鷹そばよりちょっと高品質な蕎麦を提供する「風鈴蕎麦」という屋台蕎麦が登場しました。

この屋台はその名の通り、屋台に風鈴を下げて風鈴の音でお客を呼び込むというシャレたもの(のち夜鷹そばも風鈴を下げるように)。

メニューも夜鷹そばが「かけ」専門だったのに対し、かまぼこなどがのった「しっぽく」も出されるなど高級路線でした。

江戸時代の高級路線屋台蕎麦「風鈴蕎麦」(『忠臣蔵前世幕無』より)
(『忠臣蔵前世幕無』より)
画面右に見えるのが「風鈴蕎麦」。たくさんの風鈴が吊り下げられています。その前を歩くのは岡持ちを担いだ蕎麦屋の出前。中央には甘酒売りも。江戸にはたくさん食べ物を売り歩く人がいたんですね。

庶民に親しまれた屋台の蕎麦屋ですが、じつは幕府から何度も禁止令が出されています。その理由は「火事の原因になるから」。

蕎麦屋だけでなく火を扱う屋台はすべて対象となりました。しかし、あまり効力を発揮しなかったようで、江戸市中から蕎麦屋の屋台が消えることはありませんでした。

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