【写真あり】江戸時代の斬新すぎる時計10個を紹介。時間の数え方も独特だった

  • 更新日:2017年8月18日
  • 公開日:2016年1月16日

1日とは24時間。それが現代人にとっての常識ですが、江戸時代の人は1日のことを「二十六時中」といったのです。江戸時代の時計をまじえながら、今とはまったく異なる江戸の時間の数え方も紹介します。

季節で時間の長さが変わった!?江戸時代の不定時法とは?

♪お江戸日本橋七つ立ち~


大名行列の出発風景(『東海道五十三次』の「日本橋 朝之景」より、歌川広重 画)
(『東海道五十三次』「日本橋 朝之景」歌川広重
民謡『お江戸日本橋』の歌詞にある「七つ立ち」。

この「七つ」とは江戸時代の時刻のことで、現在の午前4時頃にあたります。こちらの有名な浮世絵は参勤交代の大名行列が江戸を出発する光景を描いたもの。つまりまだ暗い夜明け前にはもう旅立ちだったのです。

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私たちが日常で使っている時計を見てもわかるように、現在使われている時間の数え方は昼夜関係なく1日を24等分して時間を決める「定時法」というものです。

対して、江戸時代の時間は、日の出から日没までを「昼」とし、日没から日の出までを「夜」としてそれぞれを6等分して時間を決める「不定時法」というものでした。6等分したものを一刻(いっとき)と呼びますが、季節によって日の出、日没のタイミングが変わるので一刻の長さも季節で異なりました

おおよそのところを現在の時間単位に置き換えると

  • 一刻≒2時間
  • 半刻(はんとき)≒1時間
  • 四半刻(しはんとき)≒30分

となります。ちなみに30分未満の表現はありませんでした。おおらか。

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時間の呼び方もなかなか複雑


時間の呼び方には、十二支が使われました。

十二支を使用した理由については、太陽の動きで時間を計るためには方角を読むのが便利だったから、と考えられています。

十二支の「子(ね)」の方角を北、時間でいうと午前0時頃にあてはめ、そこから右回りに「丑(うし)」「寅(とら)」「卯(う)」……と十二支をあてはめます。

さらに一刻を4等分して細かく表現することもありました。たとえば怪談でおなじみのフレーズ「草木も眠る丑三つ時……」の「丑三つ」は、「丑」の一刻≒深夜1~3時頃を4等分した3つ目のところ、つまり深夜2~2時半あたりを指します。

江戸時代の時間の呼び方

時間の呼び方には十二支のほか、数も使われました。日の出を「明け六ツ(あけむつ)」日没を「暮れ六ツ(くれむつ)といい、九ツから四ツまで下がるとまた九ツに戻るというシステムでした。

「おやつ」の由来は時間の呼び方!?

ところてんを食べる男性(『当盛六花撰 紫陽花』、三代歌川豊国 画)
(『当盛六花撰 紫陽花』三代目歌川豊国
画面右側の男性が手にしているのは、江戸の人気スイーツ「ところてん」。おやつに食べるのでしょうか?

ところで、わたしたちが何気なく使っているこの「おやつ」という言葉。じつはその語源は江戸時代の時間の呼び方に由来しています。

江戸時代、今でいう午後2~4時頃にあたる八ツ刻(やつどき)に間食をしたため、それがやがて「八ツ刻=間食」となり、さらに間食自体を「おやつ」と呼ぶようになったのです。

ちなみのちなみに、「おやつは3時」のイメージはカステラで有名な文明堂のCM「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂~」のCMソングが発祥だそうです。

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