【画像あり】世界が驚愕した屁合戦絵巻をはじめ、江戸時代の屁事情を徹底紹介【おなら代理人も】

  • 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年8月10日

江戸時代には、おなら身代わり人や、屁の音で歌舞伎の演目を演じきるおならパフォーマーなど訳のわからない人たちがいた。江戸時代の屁事情はいろんな意味でスゴイことになっていました。

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『開化放屁合戦絵巻』(河鍋暁斎 画)
“画鬼”河鍋暁斎が描いた『開化放屁合戦絵巻』より。なんとも気持ちよさそうに放屁してます

「さすが日本」外国人を驚愕させたクレイジーすぎる“おならバトル”絵巻


2012年2月、英国タブロイド紙『Daily Mail』に「腸内ガス芸術! 200年前の日本の“屁合戦”絵画には本当は深い意味があった」という記事がのりました。これが発信源となり、ネットで世界中に拡散され外国人たちを驚愕させたある絵巻物をご存知でしょうか?

その名も『屁合戦絵巻』


屁。つまり“おなら”による男女入り乱れての壮絶なバトルを描いた絵巻物なのですが、まずはダイジェストでご覧ください。

ちなみに余談ですが、屁を上品に表現した「おなら」は「お鳴らし」を略した宮中の女性たちによる隠語だったそう(女房詞)。

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では、本題に戻っておならバトル開幕!

おい、そろそろ始まるぜ!

男性たちがなにやら話し合い(『屁合戦絵巻』より)

武士とその家来たちでしょうか。男性たちがなにやら話し合いをしています。心なしかその表情には高揚感が。

腹が減っては屁はできぬ

芋を大量に食べる男たち(『屁合戦絵巻』より)

腹が減っては戦はできぬ、とばかりにみんなで腹ごしらえ。大鍋に煮られているのは芋?こんな大量に芋を食べたら、お腹はガスでぱんぱんだぞ。

バトル開始!守りは任せたぞ!

おならによる壮絶な戦い(『屁合戦絵巻』より)

さぁ、いよいよバトル開始。双方、相手に尻を向けながら強烈なおならを放つ。それはおならの概念を超え、もはやビームのような勢い。画像左の男性は従者に板の盾を持たせ、おならを防ぐパーティープレイ。そう、これはガチンコの合戦なのです。

そーれ、そーれ、風でおならを押し返せ

おなら攻撃をうちわで押し返す(『屁合戦絵巻』より)

おっと、ここで巨大うちわを持ち出しました。風でおならビームを押し返えそう作戦です。うまくいったようで、おならが弧を描いて発信者の方へ。これはひどい。左奥の男性「え?ちょっとそれ卑怯じゃない?」

絶望的な戦力差

強烈なおなら攻撃で板のガードを破壊する男性(『屁合戦絵巻』より)

ここで強者の登場。盾にしていた板のガードを一撃で破壊!応援席もやんややんやの大喝采を送ります。負けじと右側陣営のひとりが顔面めがけておならを放ちますが、「なんの春のそよ風」とばかりの涼しい顔。これは強い(確信)

集めて、集めて……

袋におならを集める人たち(『屁合戦絵巻』より)

ここで新たな動きが。両陣営とも、なにやら大きな袋を持ち出し、おならをせっせ、せっせと集めているようです。これは一体……?

くらえ、俺たちの一撃!

袋に集めたおならを一気に放つ(『屁合戦絵巻』より)

集めたおならを一気に発射!みんなのちからを合わせた最高の一撃に、敵方4人もぎゃあと悶絶。バトル漫画の王道は江戸時代の放屁合戦にもありましたよ、集英社さん!

女性たちが一騎打ち

女性同士のおなら対決(『屁合戦絵巻』より)

女性たちも負けていません。こちらは一対一のタイマンキャットファイト。交差するおならビームが芸術的ですらあります。

カタストロフィ

おならの大爆風で陣営崩壊(『屁合戦絵巻』より)

うわー。おならの大爆風によりついに陣営が崩壊。まるで嵐です。

ニャンで~

猫までおなら合戦の巻き添えになった(『屁合戦絵巻』より)

かわいいブチネコが飛ばされていく~。これはヒドイ。無関係な猫まで巻き添えに。しかもおならをしている男性の顔を見てください。完全に愉快犯だ。これは許せない。

という感じの衝撃的な『屁合戦絵巻』。これには世界中が衝撃を受けたようで、海外の反応も「これがカミカゼか?」「クールジャパン」「日本文化の源流をみたよ」といったコメントで溢れかえりました。


ちなみに、この『屁合戦絵巻』がつくられたのは幕末の1846年(弘化3年)といわれ作者は不明。英国タブロイド紙によれば「当時の日本人の外国人に対する嫌悪感や不信感を表現したもの」らしいのですが、奥書によれば1680年(延宝8年)の絵巻の増補版らしいので、外国人うんぬんはあまり関係ないのかも。

ちなみに、放屁合戦を描いた絵巻はこれ以外にもいくつかあり、最古のものは室町時代につくられたのだそう。

江戸時代末期に世相を風刺した浮世絵がたくさん描かれましたが、戊辰戦争をおならバトルとして描き風刺したものもありました。

戊辰戦争をおなら合戦として風刺した『鳥羽画巻物之内屁合戦』

これはまもなく明治へと元号が変わる1868年(慶応4年)に描かれた「鳥羽画巻物之内屁合戦」(作者不明)。画像右上「◯やき」の文字が描かれた旗が見えますが、「◯やき」とは焼き芋のこと。つまりサツマイモ=薩摩藩の暗喩です。「兵力」ならぬ「屁威力」で旧幕府軍を圧倒しています。

ほかに、おならをビジュアル化して楽しんだ例として「判じ絵」というナゾナゾもあります。

突然ですが問題です。これ、なんの文字を表したものでしょうか?

江戸時代の判じ絵(答えは「へび」)

濁点のついた火に男性が放屁しています。「ひ」に濁点で「び」。屁は「へ」。ということで、答えは「へび」。

「判じ絵」はこんな感じのダジャレなぞなぞなのですが、なぜかおならの登場頻度が異様に高い江戸っ子、おなら好きすぎる。

ということで、もう1問。さっきよりちょっと難易度高し。

江戸時代の判じ絵(答えは「浅草」)

「あ」が「さ」っとした屁に鼻をつまんで「くさい」という男性。「あ」「さ」「くさ」。そうです。答えは「浅草」。

もう、すがすがしいくらいくだらない。なに考えてるんでしょう、江戸時代

おならパフォーマーもいた!?



おならを芸にまで昇華させ大人気を集めたパフォーマーもいました。名を霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)。なんとも風流な芸名です。のちに曲屁福平と改名したそう。

江戸時代中期、江戸は両国にさっそうとあらわれたこの花咲男、特技は曲屁というおならパフォーマンス。

おならで旋律を奏でるのは当たり前、おならによる犬や鶏の鳴き声のモノマネ、おならで歌舞伎や浄瑠璃の人気演目を一幕演じ切ったり、前転しながら「ぶうぶう」とおならをし水車を模す、など、にわかには信じがたい数々の神業で観客の度肝を抜いたそうです。

しかもスゴイことに、花咲男に師匠などはおらず独学でおなら芸をマスターしたといいます。

この妙技に魅了されたひとりがこの方。

平賀源内の肖像画

平賀源内

江戸時代が生んだ奇才。エレキテルでおなじみの方です。

源内は花咲男のパフォーマンスを感激し、『放屁論』というおなら論まで書いてしまいました(ペンネームは風來山人)。一部を意訳しますと――


糞尿は肥料として万民を養うが、屁というのは放屁した本人がしばしお腹がスッキリするだけでなんの役にも立たない。

音がするけど太鼓や鼓のように傾聴するもんでもないし、匂いはすれど伽羅麝香(きゃらじゃこう)のように香として使えるわけでもない。

しかし、花咲男ときたら2寸足らずの尻穴から出る屁で歌舞伎や浄瑠璃の芝居を演じ、観客を”屁威光(閉口)”させる。これは本当に”屁柄者(手柄者)“だ


まさに絶賛。ちょいちょい入る“屁ギャグ”もいい味出してる。ちなみに『放屁論』は屁を論じたものですが、ふむふむと読んでいくと、最終的には社会批判という重いテーマに繋がっていきます

放屁で自殺!?人前でのおならは命がけ



こうしてみていくと「なるほど、江戸時代というのはおならをユーモラスなものと捉えていて、おならに対して寛容だったんだなあ」と思うかもしれませんが、これが正反対。

人前での放屁は言語道断、女性とくに若い女性が人前でおならをしちゃったとなったら引きこもりになったり、最悪、自ら命を絶つ……なんてこともあったとか。

『社頭の見合』(鳥居清長 画)
お見合いの席でおならをしちゃったら……若い娘さんなら恥ずかしすぎて卒倒してしまうかも(『社頭の見合』鳥居清長 画)

江戸時代の川柳にもおならを詠んだ句が数多くあり、当時の人々のおならに対する考えがかいま見えます。たとえば


花嫁は ひとつひっても 命がけ


花嫁の放屁した時の心境は「生き恥をさらすくらいならいっそ……」といった悲壮なものだったようです。長屋のおかみさんともなればおならのひとつくらいでは動じなさそうですが、若いお嫁さんは相当おならに気を遣ったのです。

江戸時代の結婚式のようす(『三定例之内婚礼之図』歌川国芳 画)
華やかな結婚式のようす。花嫁はおならをしたくなったらトイレに駆け込むしかったのでしょう(『三定例之内婚礼之図』歌川国芳 画)

もう一句。


ひとつ屁を 花嫁七つ ほどにひり


つまり、小分けにすればバレないんじゃないの作戦です。これはかなりテクニックがいりそうです。とにかくそのくらいおならひとつするにも慎重になったわけです。

似たような川柳でこんなものも。


嫁の屁が 五臓六腑に まよって居


出すに出せない苦悶のようすが痛ましい。お嫁さんの体調が心配されます。「出物腫れ物所嫌わず」ということわざは花嫁には適応されなかったのでしょうか。江戸時代の花嫁はたいへんです。

おならに嫁姑問題がからむことも。こんな一句。


恥ずかしさ 悔しさ嫁の 無実の屁


どうやら姑が自分のおならを嫁のせいにしたようです。当時、姑の立場は嫁より絶対的に上でしたから、お嫁さんは理不尽なおならの押し付けに文句も言えません。嫁、かわいそすぎる。

余談ですが、江戸の町を火事から守った町火消48組には「い」「ろ」「は」の順に組名がつけられていたのですが、「へ組」はありませんでした。「へ」は「屁」を連想するので締りが悪くてカッコ悪いという理由なんだそう。ちなみに、「ら」「ひ」「ん」も除外組でした。

高貴な娘たちの救世主! おなら代理人、参上



女性たちを戦々恐々とさせたおなら。大名の姫や裕福な商人の箱入り娘などといった良家のお嬢様にとっては、放屁は人生の大問題だったに違いありません。

そこで活躍したのがおなら代理人、

その名も「屁負比丘尼(へおいびくに)」

なんだかカッコいいぞ。

この屁負比丘尼は主に中年女性で、表向きはお嬢様の雑用係、しかしその実態はお嬢様の放屁の身代わり役というものでした。

たとえば、ある席でお嬢様がうっかりおならをしてしまったとする。すると、側に控えていた屁負比丘尼が「お恥ずかしながら私がいたしました・・・・・・」と名乗り上げる or モノ言わぬまでもいかにも自分がしたように恥ずかしがるのです。

周りにいた人もここで「え、いやいやウソウソ。お嬢さんの方から聞こえたし」などとはもちろん言わない。高貴なお嬢様にわざわざ恥をかかせるなんて、野暮。みんな大人の対応をしたそうです。

お嬢様のおならを瞬時に察し、即座に演技をする――屁負比丘尼という仕事はなかなかに能力が問われそうです。

平賀源内に言わせれば、おならというのは「無益無能なもの」ですが、時に人を楽しませ、時に人を死にたくなるほど恥ずかしくさせる――意外と奥深い世界のようです。

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パンツを着用しない時代、女性の下着はどんなもの?

銀ブラをする昭和の女性1963年(昭和38年)昭和の女性が、洋装で銀ブラ。和装から洋装への大転換は日本文化にとって大事件でした。[fluct device=PC num=0][fluct device=SP num=0]さて江戸時代、男性の下着は安定のふんどしですね。女性たちは下着としてどのようなものを使用していたかといいますと、それがこれ。『水鶏にだまされて』石川豊信 画(『水鶏にだまされて』石川豊信 画)「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる四角い布です。今でいう「腰巻(こしまき)」。ヒモがついており、巻きスカートのように腰に巻きつけて使用しました。長さは膝より少し下くらいまで。うっかり裾がペラリと開くと陰部が見えてしまうので、そんなことがないよう下着の4ヵ所にはおもりが入っていたとか。素材は木綿で、色は白もしくは緋色。年配女性は浅黄(あさぎ)色が多かったそうです。さらに、湯文字の上に「蹴出(けだし)」というものを着用しました。「裾よけ」ともいいます。これは今でいう「ペチコート」で、歩く際に湯文字がチラ見えするのを防いだり、着物の裾さばきをよくするために使用されました。長さは湯文字より長く、足首までありました。湯文字と異なり蹴出は「見せ下着」、むしろ見られることを意識した下着のため華やかな柄の布が使われ、女性の足元をより色っぽく見せるのに一役買っていました。『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画(『浮世名異女図会(うきよめいしょずえ)』「江戸町芸者」歌川国貞 画)美しい芸者の足元を見ると緋色の蹴出がチラ見え。足の白さと赤い下着の組み合わせの色っぽさ。ちなみに農村部などでは湯文字を使用することもなく完全に「ノー下着」だったそうです。ですので、作業中に「よっこいしょ」と腰をかがめたりすると陰部が丸見えになる、というのは、農村によくあるのどかな風景でした。


江戸時代からナプキン派、タンポン派にわかれていた!?

パンツを着用しなかった時代。ふと頭に浮かぶ疑問は「江戸時代の女性たちは、生理のときどのように処理していたのか?」。現代にあるナプキンやタンポンといった便利な生理用品。ナプキンの原型ともいえる「アンネナプキン」が発売されたのは、わずか50年前、昭和38年(1961年)のことでした。お年寄りが生理のことを「アンネの日」というのはこれに由来しています。「アンネナプキン」発売の広告「アンネナプキン」発売の広告。キャッチフレーズ「40年間お待たせしました!」は、アメリカで使い捨てナプキンが発売されてそれに遅れること40年にしてついに発売、ということを意味しています。[fluct device=PC num=1][fluct device=SP num=1]さて、ナプキンなどがない江戸時代、女性は生理になると前垂れのあるふんどし状の布で押さえていたそうです。これは見た目が馬の顔に似ていることから「お馬」とも呼ばれていました。この「お馬」のなかに再生紙やボロ布を折りたたんだものを入れ、陰部にあてがってナプキンのようにして使用しました。布は洗って何度も使ったとか。また、再生紙や布を丸めて膣に詰め込んだりすることもあったそうです。今でいうタンポンみたいな感じですね。再生紙や布を使うのは都市部のこと。農村部では綿など柔らかな植物を陰部にあてがったり、膣に詰め込んだりしていたといわれています。また、生理期間中は血による“穢れ(けがれ)”を忌み、家族と接しないよう「月経小屋」と呼ばれる場所で生活したとか。ちなみに、これは確認しようがないので定かではありませんが、一説には、江戸時代の女性たちは現代女性に比べインナーマッスルが発達していたため、経血を膣内にためておいて用をたす際に排泄したとも。今風にいうと「経血コントロール」で、そのため簡易な生理用品でも大丈夫だったとか。そもそも経血の量そのものが少なかったという説もあります(諸説あります)。いかんせん生理に関する資料が少ないので確かなことはわかりませんが、現在のような生理用品がなくともなんとかなっていたことだけは確かです。