• 更新日:2017年5月5日
  • 公開日:2016年8月10日


ちなみに、この『屁合戦絵巻』がつくられたのは幕末の1846年(弘化3年)といわれ作者は不明。英国タブロイド紙によれば「当時の日本人の外国人に対する嫌悪感や不信感を表現したもの」らしいのですが、奥書によれば1680年(延宝8年)の絵巻の増補版らしいので、外国人うんぬんはあまり関係ないのかも。

ちなみに、放屁合戦を描いた絵巻はこれ以外にもいくつかあり、最古のものは室町時代につくられたのだそう。

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江戸時代末期に世相を風刺した浮世絵がたくさん描かれましたが、戊辰戦争をおならバトルとして描き風刺したものもありました。

戊辰戦争をおなら合戦として風刺した『鳥羽画巻物之内屁合戦』

これはまもなく明治へと元号が変わる1868年(慶応4年)に描かれた「鳥羽画巻物之内屁合戦」(作者不明)。画像右上「◯やき」の文字が描かれた旗が見えますが、「◯やき」とは焼き芋のこと。つまりサツマイモ=薩摩藩の暗喩です。「兵力」ならぬ「屁威力」で旧幕府軍を圧倒しています。

ほかに、おならをビジュアル化して楽しんだ例として「判じ絵」というナゾナゾもあります。

突然ですが問題です。これ、なんの文字を表したものでしょうか?

江戸時代の判じ絵(答えは「へび」)

濁点のついた火に男性が放屁しています。「ひ」に濁点で「び」。屁は「へ」。ということで、答えは「へび」。

「判じ絵」はこんな感じのダジャレなぞなぞなのですが、なぜかおならの登場頻度が異様に高い江戸っ子、おなら好きすぎる。

ということで、もう1問。さっきよりちょっと難易度高し。

江戸時代の判じ絵(答えは「浅草」)

「あ」が「さ」っとした屁に鼻をつまんで「くさい」という男性。「あ」「さ」「くさ」。そうです。答えは「浅草」。

もう、すがすがしいくらいくだらない。なに考えてるんでしょう、江戸時代

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カテゴリ:雑学、ネタ

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